2008年03月21日

僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる

「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」 BY 高村光太郎

口と頬の境はどこにあるのだろう? 目と鼻の境は? 顔と頭、太いと細い、高いと低い、知性と感性、僕という人間と他の人間、金持ちと貧乏、健康と病気、死と生、成功と失敗…そして現在と未来。「平均」と「相対」という言葉においてどちらかに振り分けられるだけで、実際の境目は見えていながらどこにも見えない。

自分の過去を振り返り「平均」を出して、未来と「相対」させて比べてみる。でも未来が見えないからどんな平均を出しても納得できる答えは返ってこない。一攫千金、棚からぼたもち、ヒョウタンからコマのように未来は訪れ今までの自分をチャラにしてくれる、今までとこれからには明確な
“境目”があって満足できる結果がそこで待っているはずだと…。

僕は未来に期待し過ぎているのだと思う。
保障された幸せな生活や全ての苦労が報われて何の心配もいらなくなる未来を。

だからそうなれない現在に苛立ち、「いつになったら?」と未来を疑う。
「目標を持って努力すれば願いは叶う」という言葉にはウソはないと思うけれど、問題なのは僕がその言葉に“確実な保障”を求めてしまっていること。

100%のパートナーと出逢ったからといっても、100%の生活ができるとは限らない。
なのに今うまくいかないのは「願いは叶う」なんてウソっぱちだからとか、保障が得られないのならば、努力しても仕様がないとか、勝手に未来に期待して思い通りにならなければ未来の責任にしてしまうのです。

そんな時、どこかに言い訳をつくるのではなく、逆に「自分には未来なんかない」と思ってみる。
まさに「お先真っ暗」な状態を自分で作り出してみる。するとどうだろう、最初立ちすくんで「もうだめだ」と思っていたものが、だんだんと「どうせだめなら」とモリモリやる気が出てくる。未来には保障された生活なんかないし、確証めいた運命なんかもないと思ってしまえば、今ここにある瞬間瞬間にしか未来は存在しなくなる。

すると気付いてくる、「未来とはこの瞬間の積み重ねなんだ」と。

結果を出さなければならない、今よりも良い状態でなければならない、失敗したらどうしよう、悪くなったらどうしようという気持ちが瞬間を曇らせ闘う意志を萎えさせようとする。 でも未来に対する期待も、不安も、今この瞬間に生きている自分がそう創りあげているのだと。

ならば、やることはとてもシンプルなこと、今この瞬間にだけ“勝って”いればいい。
不安で眠れない夜、鬱々として幸せを感じることができなくなってしまった時、ヘナヘナと力が抜けてダメになりそうな自分がそこにいるのならば、それはチャンスなのです。 何故なら、心に余裕の無い分その瞬間瞬間にだけ意識を集中させやすいから。

未来に期待しない生き方…夢はあるものじゃなくて創られるものです、だから今この瞬間にこそ未来は創られていると思いませんか?

参:一日生涯、一日一生
日日是好日

「目先の灯りを消せば、暗闇の向こうに光が見えてくる」 河合隼雄

「誰も知らない世界へ向かっていく勇気を「ミライ」と言うらしい」 スガシカオ


  

Posted by ayanpa at 14:31Comments(4)TrackBack(0)僕の好きな言葉

2008年03月04日

絶望を強烈なプラスに転換する…それが“祭り”だ

「絶望を強烈なプラスに転換する…それが“祭り”だ」 BY 岡本太郎

絶望を彩るとしたならば、どんな色になるのだろう。
光の届かない漆黒の闇、水があることを忘れるくらい透き通っているのに底の見えない海の青。
見えていて、何も見る事ができない“無”の世界、存在はそんな世界に暗く覆われてしまうのでしょうか?

生きていると、とてつもない障害や迷い・挫折などが、生き方をねじ曲げ放棄させようとする。
そのささやきに耳を塞いで通り過ぎるのを待っていても、いつかは対決しなくてはなりません。
激しく、激しく全存在を賭けてぶつかり、闇の中で真っ赤な情熱の火花が散ったときに闘っている“敵”がふと浮かび上がります…“自分自身の姿”が。

自分自身との対面…いやったらしくて恐ろしい、最大にして最強の“敵”。それは、最大で最強の自分の味方でもある存在です。でもその“味方”は絶望の時は安心を求めている、何も起こらないようにすることを…前に進もうとするときにはそれが“敵”になり何もできなくします。

挑戦、鍛錬、成長にはいつも痛みを伴う。 それが“敵”にとっては一番嫌なものなのだ。
自分だって痛いのはイヤだ、でもこのままではいられない…だから対決する。
そんな時は全身が心臓になってしまったかのように脈打ち、強く、強く拳を握りしめる…
怒り…誰のためでもなく何の意味もない純粋な衝動は、天に近付かんとする“祭り”のような
“歓喜”となります。

死ぬかもしれない、全てを失ってしまうかもしれないのに、“祭り”は人を熱く激しくさせるのです。
恐怖に身を投じ、それが過ぎ去ったとしても自分には何の成長もないかもしれない。 
でも、それを経験したのとしないとでは、それからの人生はまったく違うものになるのです。

目を閉じると闇が見えると恐がる…でも実際に見えるのは“白い世界”だったりします。
絶望の色に激しい命の色を彩ってみる…その徹底的な対決は、人を豊かに深く強くし、
その瞬間から見える世界は感動とともに変わっていくようです。


  

Posted by ayanpa at 20:42Comments(0)TrackBack(0)