心理カウンセリング実践講座面白まじめ人生・野末陳平塾和みのヨーガ実践講座

2009年01月14日

元気は「楽しい」から生まれ、幸せは「元気」から生まれる

人が「楽しい」ときは、心の余裕があるときです。「心の余裕」があるときは、頭を空っぽに出来るときです。頭を空っぽにできるときは、心配することを忘れることができるとき。忘れることができるときは、何かに感謝できるとき。何かに感謝できるときは、自分が幸せだと思えるとき。幸せだと思えるときは、自分が元気なとき。元気なときは、「楽しい」とき…。

こんな循環が自分にあるとき、人は自分の人生を信じられるのかもしれません。
でも不安や恐怖が途中に入り込めば途端に悪循環に転じて、心の余裕がなくなります。
すると楽しくなくなり、元気がなくなり、不幸だと思うようになり、世の中を呪うようになり、常に何か良いことが起らないと眠ることもできなくなる。

まったくやっかいな渦に巻き込まれてしまうと、なかなかそこから脱出できないのが現実としてあります。それに対抗すべく、怒り哀しみそして諦めて最後に「成るようにしか成らない」と諦観できるまで、もがき苦しみずっとこのまま、もしくはもっと悪くなっていくんじゃないか?と自分自身で渦を大きくしてしまうのです。

頭の中では全てわかっている、心配したって物事は良くならないってことを。でも、心配を止める有力な手段というものを感情は持ち合わせてはいない。何故なら目に見える物事がいちいち自分の不安を煽ってくるからです。
希望を見よう、幸せを見ようとしている自分の視界に世の中の不幸さが遮り、ハエの大群が自分に集ってくるような、振り払っても振り払っても自分を暗く覆ってくる。


<見ようとして見えないなら、いっそのこと目を閉じてごらん>

世界は無限に広がる。何もない、でもそこは自分の想像するものを全て映し出すことの出来る巨大なスクリーンでもあります。すると自分に気付くことがあります。ちっぽけな自分を、目に見える自分の不幸さがなんと小さなことなのかを。
そして少しずつわかってくることがある、それは「木を見て森を見ず」、殻の中に閉じこもっている自分の姿は、殻の外からしか見えないということを。

不安という殻、心配・恐怖という殻、逆境、過去など人は色々な殻に閉じこもっている自己を持っています。でも、それは自分の心の中にある“部分としての殻”であって、自分全体を包む殻ではありません。ときに人はその部分に入り込み、自分の全体として捉えてしまうけれど、自分の世界を広げるとき、その殻は自分の中に小さくあるものなのだとわかるのです。そして小さき目であるからこそ、世界は大きく偉大に見えるとも言えます。

心が何かに捉われているときは、見たいものを見ることができない。何かに捉われないためには、何かに捉われている自分の姿をもう一層上の世界から眺めてみるということ。 そして再び目を開けてみる、見える世界は変わっている。

現実が、挫折が目の前に立ちふさがって前に進めないとき、いつだって何かの殻の中に自分を閉じ込めてしまっているとき。「それも自分、どんなときも自分」、そう思えるとき、「心の余裕」は創りだされ、「楽しい」が出来上がっていくのだと思いませんか?

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