心理カウンセリング実践講座面白まじめ人生・野末陳平塾和みのヨーガ実践講座

2009年03月14日

才能は自分に気付くもの

人にはそれぞれ才能という名の”山“がある。
山と言っても、それは目に見えるようなものではなく、登るためのものでもない。
生まれながらにしてその“山”はあって、人はそれぞれに最初から頂上にいるのだ。

だから、努力によってその山を登ることは出来ないし、誰かと比べるようなものでもない。
これは例えて言うならばということなのだけれども、誰かに憧れてそれに似た山を登ろうとしても、その山はやっぱり自分の山ではないから、多分うまくいかないのだと思う。

大切なことは自分の山を見つけることだ。
そしてその山の上に既に立っているという自覚を持つということなんだと思う。
その山が自分のものだとさえ感じることが出来れば、他人の山のことを意識したり比べたりする必要がなく、自分の山だけで勝負することができる。

そのためにはまず臆病になっている弱い自分というものを認めなくてはならない。
弱いと認められなければ、どの山でも勝負できると見栄を張るしかないからだ。
「自分が一番だ!」というのは、あくまでも自分の山でのことであって、他人の山へ登って一番にはなれない。どちらかというと他人に侵食されない自分だけが立つことが出来る山に立っているからこそ、自信のようなもの、負けん気のようなものがやっと持てる。不安で怖くてたまらないからこそ、自分だけの世界観を持つのです。

自分に自信を失くすとき、その山を降りてうまくいっている誰かの山へ後から登ろうとしてしまう。自分には才能がないからと努力によって才能を作ろうとしている。でも、その努力ではいつまでたっても納得のいくような結果にはならないのです。

幼い頃から才能が輝いている人気者がクラスに一人はいる。
彼らの不遇とは、無意識にその山の上に立っている感覚を持っているということで、大人になるまでに自覚としてその才能に気付かなければ、「何故それが出来たのか?」という反省がないままにその発揮する力は衰えていってしまう。
逆に凡人の不遇とは、自分に山があるということを否定し、才能を発揮している人を羨むに終始してしまう。
でも、本当は「何故出来ないのか?」を考えれば、「今、自分には何が出来るのか?」「何がしたいのか?」という才能の気付きに一番近いところにいるはずなのです。

才能は決して努力では埋められない。才能は自分に気付くものだ。
生まれた瞬間から持つその才能は、いつだって表現されたがっている。
だから努力すべきこととは、その才能がうまく表現されるように、みんなに理解されるために何が出来るか?ということに集約される。

今は霞がかかってうまく見えないかもしれない。
もしそれを何とか見つければ、誰にでもその才能は努力によって発揮できる。
その力はいつだって外に出たがっているのだと僕は思います。


参:未来にあるものは現在に必ずある
現在にないものは未来にもない
持続する才能は全ての才能を凌駕する
物事は努力によって解決しない


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