楽しく生きている人は、心の中にパートナーを持っている

ayanpa

2007年02月06日 14:27

BY 河合隼雄『こころの処方箋』

「自立」。
なにものにも頼ることなく自活した生き方を選び、自分の自由を束縛されないように
誰とも “距離”をおいて付き合うことが「自立」だと思っている人もいるかもしれません。
でも、その自立していると思われる人ほど、”だれそれの評価”に敏感で“影響”を受け
やすいのは何故でしょうか?

それは「依存心」というものをできるだけ自分から遠くに排除することが「自立」だと考えた結果、
人間関係の“距離感”をうまく捉えることができなくなってしまったからです。
そんな状態で急に人とぺったりくっついたりすると途端にパニックになってしまいます。

だから、他の人ならできる“適度なお付き合い”が自分にはできないので、
特別な人間を演出しつつ、周囲の評価に聞き耳を立てていかなければなりませんし、
また見栄によって反発していかなければならなくなります。

そして、自立しているはずの自分がいつのまにか「かくれ依存」になってしまうのです。
私は「依存心」自体が悪いとは思っていません。何故なら、個人色の強い欧米人の方が
東洋人よりはるかに「自立」しているのは、アメリカンホームドラマに見られるように、
依存できる環境があるからです。

だから、“適度に依存”できる相手がいるということは、何かに守られているような安心感の上に
自立でき、外でおもいっきり自己主張できるということです。

一人は気楽でいいとその良さを変に見せびらかしている人は、内心どこかに依存していることを
隠したがっている場合が多いのです。かといって、誰かと一緒になれば煩わしくて腹のたつことも
多く、子供が生まれたらますます金銭的にも精神的にも余裕が無くなってしまうと考えてしまう。

また、誰かと一緒になるということを「一心同体」と捉え、どちらかが欠ければもう生きては
いけないと考えてしまうと、もたれ合い、お互いの自由を奪い合う結果にしかなりません。
でも、この言葉のように「楽しく生きている人は、心の中にパートナーを持っている」であれば、
実際は無駄遣いがなくなり、生きがいが出てくるなど、逆の結果である場合が多いはずなのです。

そのために必要なことは、依存している自分を了解し、一人立ちの意識を失わないこと。
文句を言い合っても、誰かと張り合いながらまた依存しあいながら生きていけることはとても大切
なことなのです。

本当に一人で楽しい人は「内なるパートナー」という「父」や「母」「友人」「恋人」、
そして「もう一人の自分」が心の中にちゃんと居て、自分の話し相手になってくれるのです。

色々な悩み葛藤からその日にあった何気ない出来事をそのパートナーと話し合うことによって
自己評価もできるし、楽しむことができるのです。

ぬいぐるみでも、ペットでも、「話かける相手」にたいする「依存心」をきちんと了解したところに、
本当の「自立」が存在するのではないでしょうか?
ですから、男性よりも女性の方が、(依存的に見えても)実際は自立している人が多いです。

<一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり>

つまり、一人で生きるということはいつでも「二人分で」生きていくことなのです。
それは、依存する自分とそれを受け入れる自立した自分を自己の中に持つこと…
それが“自分を認める”ということではないでしょうか?

そして一人で楽しいからこそ自立したパートナーとして、二人で「信頼」し合って生きていける
のではないでしょうか? 
人は、何かに守られているという感覚(依存)をキチンと認めるからこそ「自立」でき、自由に
楽しく生きるようです。

参:自立とは、依存しないことではなく、自己の中に依存を抱え込むことだ。

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