人の人生は天地とひとつ。

ayanpa

2009年01月24日 13:46

目に見え感じることのできる現実という重力は地面に向かって働いています。でも、目に見えず感じることのできない“運”という重力は天に向かって働く。つまり、僕たちは天に頭を引っ張られ、地に足を引っ張られ、その間にいることで立っているのです。

だから、落ち込むときは深く底なし沼のような地中深く絶望し、自分の運を信じられる時は天にも昇るような高揚感を得る。まるで見えない糸で操られているかのような天と地の引っ張り合いに、僕たちはピノキオのように成す術もなく、その人生を全うすることだけに精一杯なのだ。

たぶん、そういう意味では運というものは既に決定されている、でもそれでいて僕たちの人生はとても自由なのだ。矛盾しているかもしれないけれど、決められた運というもの、寿命というもの、結果として得られるもの、それ自体はどうあがいても変えられないとしても、その過程や生き方は自分の好きなようにできるんじゃないだろうか?

例えば雨が降っているという事実を僕たちは変えることができない、でもその雨の時にどう過ごすのかは僕たちの自由なのだ。そう考えると、結果は天と地が決めてくれるのだから、あれこれ余計なことを考えなくてももっと人間らしく、精一杯今を生きてみようと思えてくるはず。


<幸運は自分の運を信じた者にやってくる>

信じるということは、受け入れ認めるということだ。良いことも悪い事もすべて自分にとって意味あることなのだと自分をまるごと大きな力の中にポンと飛び込ませる…多分その時に“神””仏“という言葉が出てくるのでしょう。
説明不可能な大きな力が自分をどこかに導こうとしていると感じるとき、不思議と僕たちは手を合わせる。茶碗一杯のごはんから人生を変える大きな出来事まで、手を合わせて祈る時は何かと繋がっている自分を合わせているのかもしれない。


<人生は生き詰っている…行き詰るからこそ開ける> 岡本太郎

孤独になればなるほどに、現実に突き落とされたとしても、天とも繋がっていると自分を信じたとき初めて「人」という存在がわかる。生きている以上、地の糸も天の糸も切られることはないからです。
“天地人” 生きることは決められていても生き方は自由です。色々なものと繋がりを持ちながらなおかつ自由に生きられる・・・、そんな風に僕たちの人生は出来ているのだと思いませんか?

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