人生は一箱のマッチに似ている

ayanpa

2006年09月29日 22:45

(BY 芥川龍之介「侏儒の言葉」)

人生は一箱のマッチに似ている
重大に扱うのは莫迦々々(ばかばか)しい。
重大に扱わなければ危険である。


私は旅をするとき、非日常的な力を持つ“その場の空気”を、自然なカタチで体験したいという矛盾した要求を持っています。それは物語を読むときも同じ、非日常的な力を持つ“ことば”を、自然なカタチで読みたいという矛盾した要求を持っています。

口語的でも、文語的でもいけない、歯の浮くようなキザなセリフでも、口に出して言っても理解されない難しい漢字の羅列でもない、自然さの中に溶け込む超自然的な“ことば”を目にすると、私は無条件で「すばらしい」と思うのです。

「言い得て妙!」と普段使ったことのないようなアフォリズム(箴言:しんげん)…、でも日常に溢れているような、心に染み込んでくる“ことば”を私は求めています。私は本を読んでそんな“ことば”に出会う度に考え込んでしまう性分なので、一文・一行を一週間かけて“読む”こともあります。

引き出しかどこかに捨てられたように佇(たたず)んでいるマッチ箱。でも、扱い方を間違えれば大変なことになる。(昔のマッチはちょっとした摩擦で発火してしまうため、放っておくと火事の原因になりました。) いくらもしないマッチはその役目を果たせぬままゴミ箱に捨てられる運命をたどります。しかし、それは後で、家を全部焼き尽くす炎と化すのです。

価値のないような自分の人生、生きていていったい何の意味があるのだろうか?と悩む。
考えれば考えるほどばかばかしくなり、考えること自体が意味のないようなことに思える。
でも、考えなければ自分がますます見えてこない。
だからこそ、人間は面白いのだと思うのです。

大切なことは、放っておくようで放っておかない、放っておかないようで放っておくような、その微妙なバランス感覚。それは子育てにしろ、恋愛にしろ、人材育成にしろ、自分自身の成長にしろ、すべてに適応されるものです。

世の中はそんなに白と黒がはっきりしているようなものでも、常にちょうどいいという場所などでもありません。それは、人間の世界でも、“河童の世界”でも同じなのです。ただ、人の心の奥底にあるものが、何かの拍子に飛び出て、自分自身の感情や状態に思わずびっくりすることがあります。

他人に対する嫌悪や憎悪が、一瞬にして昇華され温かい気持ちになる瞬間や、またその逆。
白が黒に、黒が白に、役に立たない自分があるときすごく役に立った時…。
たった一言の“ことば”が全ての物事をひっくり返すのです。
それがこの“マッチの箱”なのだと、私は解釈しています。
その複雑で具体的に示すことができない“ことば”がここにあると思うのです。

だから、旅や恋愛や仕事や読書などどんなときも、私達はきっと“マッチの箱”のように生きているのではないでしょうか。

自作: 人生と“嫌いな食べ物”は似ている。
    泣いても叫んでも、食べなければいつまでも皿の上に佇む
    食べるのはバカバカしい
    でも、捨ててしまうのはもったいない

…、やっぱり私にはセンスがないようです…(泣)。

関連記事