“答え”は思い出される

ayanpa

2009年08月10日 11:44

問題を抱えてそれを解決しようとしたとき、ひとはその答えを“探して見つけ出す”ことに躍起となる。そして、求める答えがどこにも見つからないことに失望する。まるでチルチルとミチルのように、青い鳥を探して色々な世界へ旅をしているかのようだ。

僕たちは本当はわかっている、幸福の青い鳥はどこでもない“ここ”にしか存在しないことを。答えは”ここ”にあるのに、あえてどこかに旅をするという手段を使ってしか、理解することができないことも。

旅をするのは、帰る場所があるからだ。「自分探しの旅」だって、みんな本当は見つからないとわかって旅をするんだと思う。自分ではない何者かが本当の自分であるならば、今いる自分は偽者であり、存在することが許されないようになってしまう。
その許されない存在が行うことは全て愚行となり、旅に出たはいいが帰る場所がどこなのかがわからなくなるのです。帰る場所を失くしたとき旅は放浪という言葉に形を変え、いったい自分がどんな答えを探していたのかということもどうでもよくなり、そして失望する。


<ヒントは外にあり、答えは内にある>

実は全ての“答え”は自分の中にこそ存在しているという事実。自分の帰る場所、許せない存在の中にこそ青い鳥は存在する。
あなたは既に答えを知っている。だから、ただそれを思い出すように心に命じればいい。そうできれば失望することはなくなるでしょう。その人に起こる全ての問題は、その人に“答え”が存在しなければ起こらない出来事なのですから…。

参:解決されない問題は、その人には課せられない

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