”余裕“とは求める必要がないこと
もしかしたら“余裕”というものは、欲しいと思うものを目の前にしながら、「いらない。」と言えてしまうような心の持ち方のことかもしれない。いつも何かを欲して追い求めていると、それは大抵は手に入らなかったりする。逆に追いかけるのをやめると、向こうからそろりそろりとやってくる。
探し物は探していないときによく見つかるように、僕達の求めているものは、求めなくても良い状態になったときにやってくるようだ。多分、何かにがっついている時は、全体を見渡す視点を失ってしまっているときなのだ。だから見当をつけてそこばかりを狙っていても、「見当違い」となりやすい。
ヤマカンで受験勉強をするかのように、当たればラッキー、外れれば悲惨の世界。
求めているものがあまりにも獏とし過ぎて、具体的に“こう!”という決定的なものを見据えながら生きているわけじゃないから、当然として迷いもあるし、もし偶然にもそれを手に入れたとしても確実に“これだ!”と言い切れるだけの自信もない。
追い求めていい時は、それがはっきりと自分に見えているときなんだろう。
そしてはっきりと見えている時とは、それに見合うだけの自分が出来上がっている。
そんな自分がいるときは、きっと追い求める必要もなくなってしまっていることだろう。
そう考えると、夢は叶えるものじゃなくて、夢に対して自分が見合う存在となれるかどうかなんだと思う。
<幸運は準備の出来た人に訪れる>
物質と精神の関係とすれば、幸せな人のところに幸せはやってくるし、金持ちのところにお金はやってくるという法則が出来上がる。心が貧乏で不幸であるところには、“余裕”はなくなり物質は入ってこない。もしそうであるならば、僕達がしなければならないことは自分の中に“余裕”を創りだすことであり、求めているものに対して自分を見合うようにしていくことになります。
<成功とは、どれだけ自分が挑戦し続けれたかということ>
まずは仮定法でもいいから、自分の望む自分になったとしたらどんな気持ちでどんなことをするのか一度そこに心を置いてみて、できるだけ具体的にその状況を思い描いてみる。そこに不足や不満や不安が見つかれば、あとはその“不”を取り除く努力をしていければ良いと思う。
現実を見る目は必要、でももうすこし視野を広げてみれば、良い未来を語る現実が見つかるのだとは思いませんか?
関連記事