鏡とは見事なる骨董品です  写真とは見事なる真犯人です

ayanpa

2006年11月02日 14:38

By ふかさか南 『もっとちかくにきてよ』

<鏡とは見事なる骨董品です
 写真とは見事なる真犯人です>


この言葉に対する私の解釈は「生きる事に、ごまかしはきかない」です。
人は愛を求め真実を求め、純粋に物事を見ようとすると、憎悪や偽善や
不純に出遭うことになります。

生きることは死に歯向かえないということです。
そのために、あがいていしまいます。
死に歯向かえないなら、生きる事に歯向かうのです。
何故なら、人の“苦しさ”とは、辛い過去が忘れられないということだからです。

そんな時、ふと自分を鏡に映して自分の顔にうんざりする。 見るのも嫌だ。
そんな時に映した自分の写真は、残酷なほどにいやったらしい。

私はそんなに強くないし、きれいな人生を歩んできたわけではありません。
ただできるだけ、嘘のない生き方をしていきたいだけなのです。
だから、自分と対決するのです。
憎悪や偽善や不純に満ちた失敗の過去に歯向かえないなら、そのまま
呑み込んでしまうのです。そこに少しでも自分かわいさで、ごまかしたり、
否定してしまったりすると、余計に苦しむことになってしまうのです。

大切なことは、決して投げ出さず、目を離さず、真正面から等身大の
自分を見据えてみること。
「なんて惨めで情けなくて弱い人間なんだろう。」

辛い…、でも苦しくはない。
何故なら、それは過去ではなく“今に生きている”ことになるからです。

ドキドキとしない恋も、安心しきった愛も、もうそれは恋とも愛とも呼べません。
だから、辛くていいんです。それが面白い。
辛い自分に、修羅場でこそ笑って、自分の弱さを確かめてみると、拍子抜け
したかのように今まで重たかった日々がストンと軽くなったりします。


<紛失物を探す脳と宝物を探す脳はおなじか>

そうなんです、失うものと、これから得るものは、同じ質量を保ちます。
そこで今まで自分が足りていないと思っていたものが、実は最初から満ちていたことを知ります。
あなたは鏡の中に映る自分(かつての過去)に泣き、そしてほほ笑むことができますか?




ふかさか南著:『もっとちかくにきてよ』

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