心は疲れない

ayanpa

2009年09月08日 06:24


(c) S.M.A写真素材 PIXTA


心は、癒された後、どうなってしまうのだろう?
頭を空っぽにしてリラックスしてみることはとても大切なことだけれど、根本の題解決にはならないし、残念ながら、心は体と同じように癒された後に元気になることはありません。

何故なら、本来心は疲れないからです。
”心が疲れている”と感じることはよくある気がするけれど、それは”落ち込む”、すなわち、心の元気が失われて、自分の管理を誰かに譲ってしまっている状態だったりします。
愚痴をこぼし、悪い思考がこだますると、どっと疲れがやってくる。

簡単に言うと、それが「自分に負ける」ということ。
リラックスするのは、何かと闘うための緊張状態をやる気に切り替えるためにある。
癒しという名のバンドエイドは、傷口を隠して広げないようにすることは出来ても、新しい皮膚を作り丈夫にしていくというところまでは出来ない。

だから、心を休ませることは「気休め」でしかなく、活き活きと前向きになってくるためには「気合」、自分の心を何かと合わせることになるのです。
気合というと根性とか意地の様な無理にでも出していくイメージがあるのかもしれないけれど、元を正せばあらゆる感情は全て同じ自分の心から出ている純粋なエネルギーで、正だろうが負だろうが、そのエネルギーが「気」というものであって、それがある感情と「合わさる」ときに、生きるパワーが生み出されるのです。

嫌な感情が自分の中にふつふつと出てきたり、ストレスが溜まってイライラしているときは、実は自分の中にエネルギーが充満してきているとき。後は今までの自分を蹴飛ばせばいい。そうすればおのずと自分の感情を乗せる物事は向こうからやってくるのです。

そして前向きで明るい言葉を発するようになれば、そこに言霊が乗り元気が出てくる。
まるでスーパーサイヤ人になるかのように金色に体が輝きだすわけじゃないけれど、心の状態はまさしく金色に輝きだすはず。あらゆる自分の感情は全て自分の元気の源であり、そのエネルギーは自分の感情の豊かさがあるからこそです。

自己嫌悪する感情にだって、死にたいと思う感情にさえも、エネルギーは存在している。だから、それを打ち消したり、癒してなだめたりしてしまうのはもったいないことだし、もっと疲れやすくなってしまう。
悪口を言っている時に人は楽しくなれないし、逆に良い言葉を使っている時に人は悲観的になれないということ。そのエネルギーを全て自分の「やる気」に変換したのだとしたら、すごいことが起こると思いませんか?

参: 「芸術は爆発だ!」 岡本太郎


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