怖いときには、前に出ろ

ayanpa

2009年07月20日 11:44


(c) GOETHE写真素材 PIXTA


健全な心の状態を保っていると言える条件とは、「自分について考え」、「待つ忍耐力をつけ」、「自分の秘密を持ち」、「色々な見方ができる」ことらしい。
自分を客観的に見ることができるということは、冷静さを失っていないということで、待つ忍耐力があるというのは、物事に優先順位をつけて順番に何かを成し遂げられることで、自分の秘密を持つということは魅力的で大切な自分があるということで、色々な見方ができるということは色々な可能性を見つける好奇心があるということ。

でも、何かに恐れを抱いてしまっているときには、これらとはまったく逆の心の状態が出来上がる。「悪」と呼ばれるものの最大の目的は、相手に“恐怖”を植え付けることで、恐怖は行動を萎縮させ抵抗する力を失わせる。冷静さを失い、焦り、理解してもらおうと自分を暴露し、単一の思い込みをする。
そして、何もできない「罪悪感」だけが心に残ってしまうのです。

そうなると猛烈なまでにやる気一杯の状態だったのが、急に風船が萎んでしまうがごとく自信を失いどうしてそうなったかを自分で説明できない“嫌な感じ”だけが心にしこりとなってしまいます。
「失調症」とか「鬱」とかカッコに入れて考えれば説明をつけやすいのだけれども、その原因というものがわからければ根本的な解決は難しい。自信を失ってしまう時は周囲との兼ね合いや距離をうまくとれないことが原因となりやすいのだけれども、そもそもその歯車がうまく噛み合わない状態とは実は自分の中だけにしかない個性や他人とは共有できないものがムクムクと常識の上に盛り上がってきて、それを自分自身だと認めることが出来ないときだったりする。

他人と同じものを共有し同じように生活が出来るのならば、それが安心・安定の条件だけれども、「自分である」という自我を持つ以上それが望めない。でも、その自我を何とか自分の存在意義として表現することを恐れず行えば、宿命ともいえる人間の必然性、「何故、人は生きるのか?」という問いを必要としなくなるんじゃないだろうか?

自分であるという事実を認めることは億劫だし怖いことだから、みんなとは違う部分は切り捨てて生きようとは思うのだけれども、やっぱりどこかで生き詰って出口を探さないといけなくなる。その出口は“自分である”部分にあったりする。心の中に起こっているわけのわからない気持ちの悪さを解消するためには、「なかったことにする」か、心の在り方をもう一段階上げるしかないのだ。

そこでもう一度考える。「自分について考え」、「待つ忍耐力をつけ」、「自分の秘密を持ち」、「色々な見方ができる」ことを。だから、怖いときには前に出なければならない。何も大胆になって恐れないということが前に出ることじゃない、今まで自分がやってきたことを淡々と行い続けることも前に出ることなのだ。

何かと調子が狂い、自分のリズムを忘れて誰かのリズムに呑み込まれそうになってしまうときこそ、自分のやってきたことを信じてみることが大切なのだと思います。

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