「みんなちがって、みんないい」 (金子みすゞ)

ayanpa

2008年06月06日 10:01

劣等感。
「個性」とは、ある方面に偏りがあるということ…ゆえにバランスのよさはない。
平均的に何をやってもうまくいかないというコンプレックス。だから何をするにしても自信が持てない。偏った能力はイジメの標的になり、自信になるには時間がかかる。そして、何をすればいいかもわからないから、何もできない自分が嫌いになる。

周囲を見渡せばみんな楽しくやっているように思えて、自分ばかりが惨めになる。
そのうちに、自分が今までどうやって生きてきたのかがわからなくなり、何が楽しくて生きているのか、これからどう生きていけばいいのかがまったくわからなくなってしまう…。

それはきっとやらなくてもいいことをしてしまっているからだと思う。
幼い頃は好きなことを好きなだけできたはずなのに、大人になって急にそれが恥ずかしいことになったり、バカらしくなったりするのは、「周囲の目」という他者が自分に関わってくるから…大人になると“素直さ”は“愚者の象徴”のようになってしまう。

みんなに認めて欲しくて「こうしたいけれどそうする」と周囲に合わせ我慢しすぎると、自分のリズムを捨ててしまうことになる。そして「裸の王様」のように愚者には見えない服を…“虚栄”を身にまとい生きるしかなくなる。 それが本当にいわゆる「大人」というものなのだろうか?


僕達はいつだって「完璧に生きる」ことなんてできない。常に無駄の中、虚栄の中、偏りの中、自分にとって本当に必要なものは何か?ともがいて生きている。
何かをした方が“生き方の変化”は分かりやすいから、「新たなる挑戦」という名目のもと今までやったことがないことをやってみるのだけれども、“使いこなせない家電製品に埋もれた部屋”のように便利で不便、なんでもできてなにもできない状態を自ら創り出してしまう。
今まで精一杯に頑張って自分の容量はパンパンになっているのに、新たに何かをくっつけようとしても「ゴミ屋敷」にしかならなくなるのです。


<何かをやろうと思うなら、まず何かを棄てるんだよ>

そんな時に大切なことは「いらないものを捨てる」「今までしていたことを止める」こと。
掃除をするとき、一番の要は「ゴミをいかに捨てるか?」にあるといいます。あれもこれもそれも捨てられないとその時は思っているのに、模様替えや引越しの時はこれでもか!と言わんばかりにゴミが出るのはなぜでしょう。
長年の習慣、過去のトラウマ(心的外傷)などが少しずつ少しずつ、部屋の片隅に追いやられたホコリのように溜まっていくから、普段見ることもないし見たとしてもその変化に気付かない。
大きな変化を自ら起こそうと決意したとき初めて意識される“しがらみ”という名のゴミ。 
自分の意識はなかなか変えられない、ならばいっそのこと捨ててしまう。


<我ありて彼あり> 縁起

“これ”があることで“それ”が生ずるなら、“これ”をなくせば“それ”も滅する。
「何もできない」のは、「“何か”ができなくしている」ということ。自分というおもちゃ箱をひっくり返して全部放っぽり出して「何はなくともこれさえあれば」という自分にとって一番大切なものやことがわかったならば、それこそが「これからやっていこうと思う」こと、「自分の自信」とするはずのものではないでしょうか?

「自分らしさ」や「個性」。それは皆と違う新しいことをすることじゃない、自分にとって必要なものを拾って不必要なものを捨てるということ。オンリーワンがそれぞれにナンバーワンになるということ。それは決して“ロンリーワン(lonely one)”でも“アナザーワン(another one)”ということじゃない、「オール・フォア・ワン、ワン・フォア・オール(all for one, one for all)」なのです。
みんなと違ったって構わない、だって「みんなちがって、みんないい」のだから…。




参:自分以外の人間になろうとするから苦しいんだよ
自由になれば、そこから何かが見つかる
「棄てれば、得られる」

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