人生は“賄い(まかない)飯”

ayanpa

2009年03月21日 11:05

子どもは、どんどん新しい知識や技術や経験など自分に無いものが自分にくっ付いてくることに喜びを感じ、それを試すことで自分なりの人生観や価値観を確かめることが出来る。
でも、大人になっていく過程でしばしば頭打ちをしたかのように、新しい知識や経験が出来なくなることがあります。それ以上何かを突き詰めても何も答えが出てこないような、自分の行いに行き詰まりを感じる瞬間、急に興味を失い面白くなくなり、「どうせ~」と物事をわかったかのような感覚が漠然と自分の心を覆ってしまうのです。

だから、何か自分の人生を変えるような劇的な変化、新しい価値、物事が起れば、自分はもっと成長できるのだと考えるのです。でも、現実には子供の頃のように知らなかったことに純粋に感動するようなこともなく、「あ、そう」とどんなものを見ても自分の価値観となるものとして捉えられなくなる。

本当の問題は、新しい何かが自分に入ってこないことじゃない。自分の持っているもので何とかしようとすることが出来ないことなのだ。
「井の中の蛙」という言葉があるけれど、それはもっと外の世界にあることを知らなければならないということではなく、自分が「井の中」にいることをまず知らなければ、外の世界はいつだって自分にとって無関係なものになるということなんだと思うのです。もちろん、もっと多くのことを学ばなければならないと思う。だからこそ今の自分で勝負できるものは何か?を確認しなければならない。

冷蔵庫の中にスーパーから買って来た肉や野菜が豊富にあれば、どんな料理だって作れるかもしれない。でも本当の知恵は冷蔵庫にある“余りモノ”でどんな料理が作れるかを考えて創作することに見出されるのです。
その瞬間、「~がなければダメ」と思っていたものが、「~があれば」という発想へ転換される。
知識は知識としての価値に留まるのならば、あまり意味がないし自分の価値は“知っている”という自我をなだめるだけになる。
知っていることを活かすためには、自分の頭の中に知識を料理する“レシピ”のようなものが必要なのです。試行錯誤の上に見出される創作とは、今までにない知識を生み出すということじゃなくて、今ある知識を料理することなんだろうと思う。


今の自分では何にもできないと思っているのかもしれない。
でも、今の自分でも勝負できることは十分にあります。何故なら、生きているという事実そのものが今自分が何かをしているという証拠なのですから。

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