戦う君の“唄”を 戦わない奴らが笑うだろう 

ayanpa

2005年11月05日 07:30

(By 中島みゆき「ファイト」)

何もしない人ほど、何かをしている人の悪口を言います。
でも、そうしたり・そうされて気にすることで私達は何か得るものがあるのでしょうか?
互いに侮蔑し合うだけで何にもならないはずです。

人は良くも悪くも“人の評価”の上に自己存在を確立させようとしています。
それだけに心ない言葉に傷つき悲しむことになるのですが、よく考えれば“実体のない言葉”に踊らされているのも少なくないのです。
あなたの唄(意志)は、戦わない者の中傷に決して負けてはならないのです。
そして、そんな“敵”は外ばかりでなく内にも存在します。
それは“自分自身”に他ありません。

戦うあなたをあなた自身が笑っている場合もあるのです。
「そんなことをやったってどうせ無理だろう、バカみたいだ」とあなたがあなたに戦うことを止めさせようとしているのです。

人は凍えそうな冷たい水の中を、震えながら登っていく魚達のように、ある目標に向かって進んでいくのです。臆病で卑屈で惨めで流されやすい自分であるからこそ、“それ”を求め進むことが必要だと思うのです。

自己正当性は相手(自分)を中傷することではなく、自己を叱咤し確立させることで主張できるものだと思います。

参: 相手をたしなめるとき、人は善意より自惚れの方が強く働く。
 相手の間違いを正そうというより、自分は別物と言って聞かせるのだ。



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