プライドが高いということは、自分を貫いているということだ
“プライドが高い”と聞くと、意地っ張りで融通の効かない、高飛車で高慢なイメージを持たれる方もいると思います。世の中を上手に渡っていこうと思うなら、プライドを捨てることも必要だと感じることもあります。でも、本来の“プライド”とは、“自分の生き方”そのものであって、決して捨ててはいけないのだと思うのです。
自分が無能で非力だとしても、「自分はこうだ!」と自己責任を持って自分を前に突き動かすもの…それがプライドなのではないでしょうか?
ところが、他人の評価を気にして保身として、また弁明ができずただ頑なになっている状態…
「自分はこうだ!」じゃなく、「他人に対して自分はどうだろう?」と他人が自分をどう見ているかを気にした表現になると、それはプライドではなく、コンプレックス(劣等感)か、自惚れです。
自分を貫くと言いながら、自分を少しでも優位に、格好良く見せようとするのはプライドではありません。逆に、自分はバカだ!とバカであることを誇示するように見せている場合も同じです。
大切なことは、
プライドは他に見せるためのものではなく、自分自身に対して持つものなのです。 そして、破るべきは、自惚れなのです。
「自分はこうだ!」とどれだけ自分が不利な状況に陥った時でも、決して譲らない、人間として生きる為の絶対条件を持つこと。
そこには世間体も格好良さも、そして疑問もありません。ただ潔さがあります。
「あの人は自分の意志を持っている」と「あの人はただの意地っ張りだ」との差は、こういった部分なのではないでしょうか? ”こういう風に人に見られたい”と考えた瞬間から自惚れになります。
惨めで、卑しく、情けない自分がいたなら、そんな自分を追求し楽しんでしまおうという気持ちを持つことで、コンプレックスを気にせず自然とプライドという“絶対感”を持つようになるようです。
参: 名誉を高める一番の方法は“保身”だ
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