魂が「危機」に陥る時こそ、「創発」は起こる

ayanpa

2006年08月26日 10:56

BY 茂木健一郎 『ひらめき脳

「危機」は英語で“emergency”、「創発(それまでになかったものや性質が生み出されるプロセス)」は“emergence”。どちらも、“emergere”という「液体の中から浮力で上昇する」ことを意味するラテン語から由来しているそうです。
とことん思い悩んで、絶望の淵に追いやられてふとしたとき、何かのきっかけで突然パーっと視界が広がる瞬間があります(セレンディピティ:偶然幸運に出会う能力)。

人生ラクしたいと思えどラクにならず、それはお腹がすくほどご飯がおいしくなることと同じく、苦しい分だけ快感が強く感じられるような、リラックス状態の時にひらめく瞬間、私はこの本を読んで、“アハ!体験”に「なるほど」と手を打つくらい納得してまたパーっと視界が開いたような気がしました。

「学習とは無数のひらめきの繰り返しである。」

「なるほど」、「わかった!」とある難題を深く考えてそれを解いた瞬間、ど忘れした物事を思い出そうと記憶を辿って思い出した瞬間に得られるあの快感。知識をただ詰め込むだけのインプットではなく、知識に対して「気づく」「ひらめく」の創造性を伴うアウトプットこそ「学習」だと思うのです。

つまり、私達は勉強にしろ恋愛にしろ仕事にしろ、どれだけ何かを得ることができるのか?ではなく、どれだけ何かに対し“気づいてあげる”、“わかってあげる”ことができるのかが重要なのではないでしょうか?(第三者的な客観でなく、相手の立場で主観的に考える)

物事に興味を持って接していると、何故だろう?と疑問や悩みに必ずぶつかります。でも、人は問題にぶつかるとつい弱気になって「どうせダメだろう」とか「たら」「れば」と条件的に自分自身に制限や条件をつけて自らの可能性を潰してしまいます。


「脳の中で情報が伝達する時には、心の中では時間が経過しない。」

大切なことは脳から“心の抑制”を外すこと。つまり、無条件に自分を認めてしまうことです。
人は恵まれれば恵まれるほど、恵まれない時の状態を認めることができなくなる。
冷静に今自分の置かれている状態を客観的に観察し、その変化に気づくこと(メタ認知)です。
そのために、目的もなく公園に散歩しにいくなど頭がリラックスできる状態に、歩くリズムだけに意識を向けるなど、不要な情報や思考を脳が処理しないようにしていけばいいのです。

現実として気持ちが焦っていると、そんな時間は退屈で無駄のような気がします。
しかし、実際は雑多な物事に心を捉われているだけなので、脳に“退屈な時間”を与えると、
その“空白”を補うために何かを自発的に作りだそうと活動し、“ひらめく”らしいのです。

恋愛も結婚も仕事も、それを求めている時はそれがやってこない。 肩の力を抜いてふとした時にこそチャンスはやってくるものではないでしょうか? 追い詰められて、野暮ったく悩んで、そしてそれを一旦忘れると「ひらめき」は脳に最大の喜びをもたらし、その一瞬で人生が変わるようです。

参:
「人生はいつでも行き詰っている。行き詰っているからこそ、ひらける」 岡本太郎
「創造することと思い出すことは似ている」 ロジャー・ペンローズ
「紛失物を探す脳と宝物を探す脳はおなじか」 ふかさか南『もっとちかくにきてよ

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