ものごとは努力によって解決しない

ayanpa

2007年02月19日 13:52

「ものごとは努力によって解決しない」 BY クリシュナムルチ

この言葉に対する僕の解釈は、
「努力によって物事が解決するのではなく、周囲の協力によって物事は解決する。
努力とは、その結果へ至る過程の“楽しみ”である。」というものです。
なぜなら、良い思い出は、結果よりも“過程”にあると思うからです。

問題に立ち向う努力のない結果は満足感もないし、後に続きません。
でも、「頑張れば、必ず物事はうまくいく」と結果を求めすぎると、思わぬ結果に「頑張っても
報われない」と嘆き、自分を責めたり、周りのせいにしたり、上手くやっている人を妬んだり
してしまいます。

ありのままでいいのに、「何の努力もしていない」と言われないために頑張っているポーズを、
苦労しているという姿勢をまわりに向けてアピールしたり、問題解決のために頑張っていても、
いつの間にか“頑張っている自分”に酔ってしまい、報われない自分を「悲劇の英雄」のように
扱ってしまうことも、何かやってないと気が休まらず、目的のない「努力」の中に逃げ込んで
いる場合もあるのです。

もちろん努力は大切だし、結果を出すことも大事。それを放棄してしまったら人間の尊厳は
なくなります。 しかし、本当の努力とは、成果を“確信”として一方的に物事を見ない…どの
ような自分でも、どのような結果でもきちんと真正面から“認める”ことではないでしょうか?

「こんなはずじゃなかった」と努力が無駄になってしまったと考えるからこそ、問題は
ますます解決しなくなってしまうのです。決して、「努力=解決」とはならないのです。

「これだけ頑張ったんだから」と「取らぬタヌキの皮算用」をしないで、簡単に物事は思うように
ならないことを前提に考えれば、自分を必要以上に卑下することはないと思うのです。
何故なら、物事が解決するときは、自分の努力だけではなく、その努力を周囲が見て協力して
くれたときだからです。 個人色の強いスポーツにしても、選手ひとりの力だけで優勝することは
できない…だから問題解決はいつでも社会を無視しては、一人では作ることができないのです。
自分自身の「努力」とは、目標に向かってどれだけのことができたのかという“楽しみ”のことで
あって、結果の出ない物事の“言い訳”にしてはいけないようです。

参: 右手の方にやりたいようにやらしてくれた左手の存在は大きい 本田宗一郎

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