2008年07月01日

「自己実現」とは「サナギ」になるということ

「サナギの時代」というものがある。
自分というカラの内側ではものすごい変化があるのに、外側にはまったく違う世界があって、
そのギャップが激しすぎて受け入れることが出来ず拒絶してしまう。
「自己実現」というとアクティブで自分のやりたいことをやっているイメージがあって格好よく思えるけれど、実際は苦しくて格好悪いこと…それ以外自分がやれることがないという状態のこと。

「自分と向き合う」ということは、他人から見てすばらしいと思うようなこととは違うからだ。
いやったらしくてうらめしい自分も認めなきゃならない。
だから、「こうすれば幸せになる」とか、昔からある「幸福のパターン」とはまったく正反対の
「できるならやりたくないことをする」「見たくないものを見る」ことが自己実現だと思う。


<自分がどれだけ強いのか、ただ知りたかった> 尾崎豊

例えば、反抗期とかもそうかもしれない。 内面の変化を誰にもわかってもらえず、自分でもどうしてそうなるのかまったくコントロールできなくて苦しむ。背中が割れ柔らかい羽が乾くまでの時間、まったくの無防備のままジっと耐えなければならない恐怖。 
そして空へ飛び立つのに十分な力を得たとき、その蝶はサナギだった時代の自分をもう忘れている…自己実現とは単独の世界を得ることじゃない、みんなと同じ世界の中に自分を無防備のまま飛び込ませることなんだと気付く。
だから理解されない悩みの袋小路に入ってしまったとき、いつも僕は「サナギ」になっている。
そしてその悩みが解決される時はいつだって考えて答えが出ることなんてない、考えたことを眠って忘れたときに「蝶」になっている。

命ギリギリと悩んでいるときは、これ以上考えられない、これ以上悩めないというところまでいってしまえば、もうどうにでもなってしまえと開き直ることができる。詩とか絵とか音とか何でもいい、もがいてもがいて自分の心がぶつけられるものを必死で…言葉通り“必死”に探す…そしてそこに「創造」が出来る。

その瞬間、スーっと身体から悪霊のような“憑き物”が取れたような、全身の力みが“抜ける”感覚が起こる。人間が「変わる」というのはきっとこういうことなんだろう。 何一つ自分であることは変わらない、ただ、自分の内面と外の世界が和解する…まさに「殻から飛び出る」感覚。

人はそうやって、とてもすばらしい感覚を得るために何度でも「サナギ」になる。
もし、自分の内側で起こっていることがよくわからなくなってうまく外の世界に対応させられそうにないと悩んでしまっているのならば、それはきっと「サナギ」になっているということ。

まったくの周囲の理解が無い状態の中、自分の内面を見続けなければならなから相当に苦しいかもしれない、でもそれは命賭けで自分を認めているということ、そこで創られるものこそ「自己実現」なのだと思います。
やりたいことをやりたいだけやるには、やりたくないことできないことを自分に見つけなければならない…あなたにとって「自己実現」とはなんですか?



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このカテゴリーの記事一覧⇒ 勇気が出る名言
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

▼ブログランキングに参加しています。クリックで応援していただけると励みになります。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ  
同じカテゴリー(勇気が出る名言)の記事
命は道を探す
命は道を探す(2010-01-03 18:13)

こころは成長する
こころは成長する(2009-11-02 09:38)

心は疲れない
心は疲れない(2009-09-08 06:24)


※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。