2009年11月02日

こころは成長する

<神経症は自己治癒への試みだ。> ユング

自分の劣等感が無意識の中にあって、その間接的な表現手段として“神経症”を引き起こすのだという。「そういえば、あの問題はどうだった?」と・・・。
自覚のない精神的な闘いを、自覚のある神経的な闘いにすることで“無意識の世界”のありかたを認識させ、意識と無意識のズレを調整するのです。だから、神経症に悩むときはフラッシュバックのように過去の思い出したくないワンシーンが突然頭をよぎったり、夢の中で奇怪な行動をしたりするのです。突然に襲ってくる強烈な不安感、魂が抜かれていくような失望感、このままどうにかなってしまいそうな絶望感・・・。

<あなたの抵抗するものが呼び寄せられる>

「それも自分だ」と受け入れてしまえば、自分の心の中に消化され調和が訪れる。
でも、「嫌だ嫌だ」と受け入れ難い苦しみに抵抗し続ければ、小さなスコップで一人井戸を掘るかのようないつまでかかるかわからない苦しみに耐え続けるしかなくなってしまう。
「こんなはずじゃない! こうしなければならない!」と強迫観念が無意識を圧迫すると、「本当はそうなんだよ、認めろよ!」と無意識の自分が対立してくるのです。

多分、今苦しいのは過去の自分と重ねて「やっぱりダメだ」と単一方向にしか考えが及ばないからなんだと思う。自分の限界を自分で決めつけ、それ以上進めないことを仕方ないと思いながら、やっぱり諦めのつかない自分にもがいているというややこしい状態。
だからそんな時は「どうしたい?」と無意識の自分が“苦しみ”として訴えてきているものの声に耳を傾け、まず話を聴いてみる。

否定したくなるような過去の清算をするためには、今を輝かせればいい。
不遇と呼ばれる状況には、こんな風に自分と向き合うための時間を与えてくれます。
不安に苦しむ心の中には、「そろそろ違う視点で物事を見てみる時ですよ」と教えてくれる何かがある。そして客観的に自分の状態を距離をおいて全体的にみてみようとする。
今までとは違う視点で物事をみて「こんな考え方もあるんだ」と思えたとき、神経症の闘いは身体的な“行動する”という闘いに変化する。

心は理由を求めない代わりに”目的“を知りたがっている。
心の悲鳴は自分が望んでいること教えてくれるし、恨みのない心は自分にとって良いことしか望まない。だからその望みを叶えてあげるのです。

無意識が訴えてくるものと意識が思っていることを統合したときに、自己(セルフ)ははっきりと見えてくる。そうしてこころは成長し、自信がついてくるのだと思いませんか。



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