2009年10月21日

真実は嘘をつく

人が、本当のことを言おうとしたとき、それをそのままの形で言ってしまうと逆に真実味を失ってしまうときがあります。「いわゆる」だとか「一言で」とか真実を単純な形で言えるのならば、芸術家も小説家も必要がなくなる。真実を語るとき、人は大きな例え話・・・虚構を作り上げることによって初めて伝える手段を持つようになります。

直接的に「平和」「博愛」「幸福」・・・言われれば言われるほどに胡散くさくなってしまう。できるだけ正直に話そうと思っても、正直に話すということとそれが真実であるということは別問題なのだ。

<それは大きな船の“へさき”に似ている。最初に正直さが現れ後から真実が現れる。しかしその真実が大きければ大きいほどに船尾を見る頃には“へさき”にあったことはもう忘れてしまっている。> (村上春樹の小説より)

大きな真実の全体を見渡すことは不可能だし、もしそれをしたければ真実からは遠い場所に移らなければならない。その遠い場所というのが“虚構”という場所。僕達が何かに感動したり、深く自分の心の中に突き刺さってくるものは、いつでもわかりにくく「なんだこれは?」という一見荒唐無稽なものだったり無意味で退屈なものだったりします。

<人は退屈でないものにはすぐ飽きてしまうけれど、
飽きないものはいつでも退屈なものなんだ>


スカっとするような単純明快で作為のない答えを求めて、刺激的でわかりやすい真実を求めて、その時その時の事実を”真実“として一生分の答えにしてしまいやすい。でも、本当のことは最後の最後までわからないのです。だから、僕達は遠回りをしながら、虚構の中を移ろいながら遠くにある真実を見据えようとしているのではないでしょうか?

そう考えると、真実は嘘の中に存在し、真実の中に入れば何も見えなくなってしまうものなのかもしれません。たとえ自分の人生が“虚構”でも、みんな嘘っぱちでインチキだらけの邪悪だと感じる世の中だからからこそ、僕達は夢・希望を語る力を持っているのだとは思いませんか?



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