2009年09月23日
弱さを経ていない強さはない (井上雄彦)



人は弱い。
これ隠し様も無い事実。二足歩行に進化した瞬間から人は道具をその手に携え、強き者となるべく敵を倒してきた。その結果、生物の頂点に君臨し敵などいないかのように強者として更なる進化を目指してより強力な武器や道具を作り出そうとしている。
では、食物連鎖の頂点に立つ者は、いったい何に怯えて生きていくのか。
戦争によって、互いに殺しあうことに怯える。その後平和が訪れ多産する必要がなくなり少子化に怯え、自然の驚異そして極小の者、ウイルスに怯える。生態系は決してピラミッドの形ではないことを知る。極大は極小に極小は極大に吸収しあう一つの無限の輪の形をしているのかもしれない。
だから、強くなりたいと弱さを隠すほどに、弱き者に倒されてしまうようになります。
<強い者と闘うときは、ただひたすらに自分を信じ抜けばいい。>
(長渕剛)
弱き者に自分の強さを誇示しようとすれば、途端にその自信や強さはひっくり返る。
何故なら腕力や頭脳の強さとは、自分の弱さを隠すために身につけた防衛手段だから。
<強くなければ生きていけない。でも優しくなければ生きていく資格がない>
(フィリップ・マーロウ)
この矛盾、他を圧倒する力は人を魅了する、しかし、何かを傷付けない限りその力は評価されない競争原理。もし、本当の強さというものがあるのだとすれば、その力を得た人は試す必要も誰かに誇示する必要もなくなってしまうのだろう。
今の僕達に課せられている問題とは、いかに便利で有効的な道具や能力が開発できるのかというよりも、きっと自分の中にある「弱さとは何か」ということを見極めることなんだろう。その“弱さ”こそが自分にとって一番の“強敵”であるから。
「彼を知り己を知れば百戦危うからず」ただ生きて帰ってこられればいい。
「弱さ」と「強さ」とは、結局のところ“同じだけの力”があるのかもしれない。
己の弱さを痛いほどに思い知り、それを乗り越えようと人の心が猛烈に動いたときこそ、その人の「本当の強さ」は出てくるのだと思いませんか?
参:強さとは弱さを知ること
ダメなら、そのダメさを見極めろ 岡本太郎
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Posted by ayanpa at 12:41│Comments(0)
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