2009年02月10日

良い思考をしている時に、気分は悪くならない。

「良い思考をしている時に、気分は悪くならない。」

当たり前、当然なこと。でもわからない。
気分が悪いから良い思考ができないのか?悪い思考だから気分も悪いのか?
廻るめく思考には良い思考も悪い思考も含まれていて、一日に何万回もぐるぐる考えています。

だから、良い思考だけに集中させて悪い思考をしないというわけにはいかない。
良い思考で「~したい」が、悪い思考になると「~にならなければダメ」と同じ物事を考えていたとしても、その性質はまったく違うものになってしまうという事実。良い思考はまっすぐに目標に向けられているのに対して、悪い思考は前向きに見えて実は後ろ向きに思考が向けられてしまっているからです。

自分の希望を言っているにも関わらず、逆の結果ばかりが身に起るのは、もしかしたらこんな部分が原因なのかもしれない。
「引き寄せの法則」とか「思考は現実化する」とかそれは本当だと思うけれど、感情が思考をコントロールしてしまい、良い思考なんてできないと悪く思考してしまうのです。

たまごが先か?にわとりが先か? 感情さえ落ち着いていれば良い思考はどんどんできるような気がする。でも感情を落ち着かせるためには良い思考をしなければならない。
この矛盾、そしてこの無為に対してまた悪い思考を思い廻らせてしまうのです。

そうなると、自ら「もっと気分を悪くしよう」とどんどん積極的に悪い思考に陥って、次第に良い思考とはどんな考え?と気分が良くなることを考えられなくなってしまうのです。
そして、何百回も何万回も同じことばかり考えては行き止まり、また最初からその行き止まりを越えることができるまでとさらに悪い思考を増大させていく。

昨日の嫌な日と今日との違いがわからず、今日と明日の違いも知らず、過去の不幸をそのまま未来へ移動させていくという生き方。多分、そんな時は自分を赦せていないんだろうと思う。
過去の失敗かトラウマか、嫌な出来事に遭った自分を恥ずかしく、そんな目に遭わせた社会が恨めしく、赦せないままに生きてしまっている。このままじゃいけないとはわかっている、でも赦してしまったら自分だけが損になってしまうかのような失望がボコっと胸に穴を空けそうで怖い。


<人は前を向いてしか歩いていけない生き物> 

泣いていい、泣きたいだけ泣いたら後は笑顔が待っているから。
泣かなきゃ始まらないことだってあるし、良い思考とは結局のところ悪い思考の表裏一体となっているものなのだから、オセロゲームをパタンとひっくり返すかのようにその悪い思考を反対側から考えてみればきっと良い思考が顔を出すはず。

わけもわからず泣いている自分の姿は、わけもわからず笑っている自分の姿とあまり変わりはない。 だから、無理に「悪い思考をしたらダメ」と悪い思考をするのではなく、「この悪い思考の裏側には良い思考がある、だから知りたい」と良い思考をしてみるのです。すると気分は良くなる。そして更に良い思考ができるようになる。

状況は何一つ変わることはないはずなのに気分が良くなると、同じ出来事がまったく違う出来事として見えるから不思議だ。
そこに「引き寄せの法則」「類は友を呼ぶ」ようなことが起こって、どんどんと自分の思考と同調するかのようなことを実感として得られるのではないでしょうか?

自分の好みの異性や服や車などが町を歩いているとポンと目の前に現れてくるかのような、そればっかりが自分の視界に入ってくるかのような不思議な感覚はきっと経験があるはず。
なんてことはない、世の中は自分の見たいものだけが見えるようになっている。
だから、悪い思考は悪いものを、良い思考は良いものを見せてくれるだけ。

ならば、悪い思考に陥ってしまうときに否定ではなく受容する思考へ切り替えられれば、世の中は全部良い思考に持っていくことは可能なのではないでしょうか? 
気分が悪く、暗く粘っこい思考になったときにこそそれを思い出すことができれば、怒り恨みという感情のエネルギーは、喜び感謝というエネルギーに変換される。

自分に起る全ての出来事は、あなたにとって敵ですか?それとも味方ですか?
気分が良くなる方の考えが、答えです。


参:感謝とは幸せそのものだ



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この記事へのコメント
自分に起こる出来事を「問題」ととらえれば
それに向かって何らかの答えを見つけるために挌闘しなければならない訳で
そうなると「敵」?
「答」ととらえれば 受け入れるべきものだから「味方」でしょうか??


同じ事でも捉え方で正反対のものになってしまう
自分に余裕が無いとき マイナスの捉え方しか出来ないような気がします


ayanpaさんのおっしゃるように「気分が良くなる考え」をしたいときは
何だかんだ難しく考えず 
自然の中にどっぷりとつかったり
近くの散歩道をゆっくり歩いてみたり
心に余裕を持つように自分を上手に持っていくことでしょうか

ヨーガでも始めようかなー(^^;
Posted by はーと at 2009年02月12日 21:58
>はーとさんへ

村上春樹風に言うと、ドーナツの穴を”空白”として捉えるか、
”必然”と捉えるかどうかという問題なだけであって、
ドーナツのおいしさとはあまり関係のない話だったりします。

~が良いだとか、悪いだとか、自分だとか自分じゃないとか、そんな風に物事を解説者か何かのように吟味しながらするんじゃなくて、
ただ単純にドーナツにかぶりついて「おいしい~~!」と言える自分が楽しいと思うのです。

敵でも味方でもどちらでもいい、とにかく楽しくやろうよ!という感じを掴んだときに僕の「心の余裕」は出来るのだと思います。
う~ん、なかなか赦せないんですけれどね、「汝敵を愛せよ」ですかね…。
Posted by ayanpa at 2009年02月14日 07:45
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