2009年06月07日

「自信」とは、自分に出来ないことを知ること

何でも知っていて何でも出来るマルチな人間なんているのだろうか?
あらゆる知識に精通し技術向上に努め、どんな不測の事態に陥ったとしても最善の対応が瞬時に行えるような人間になれたとしたのならば、自分の中の自信が満たされ何事にしても勇気を持って生きられるような気がする。でも、完全無欠な能力を持っていたとしても、世界一頭が良いエリート集団の組織だったとしても、破綻してしまうのは何故だろう?

その破綻の原因は単純に“不信”という他者とのミスコミュニケーションだったりする。
自分の「自信」として持っていたものが他人の悪意によって侵されたとお互いに牽制し合って、そいつがいなければ・自分だけでできたのなら…と自分自身に対する尊厳を崩さないために、他人の失敗にして“不能”であった自分を認めようとしない。そんなものが“自信”と呼べるのだろうか?

資格を取ったり、専門的な知識を得る努力は、自分の能力を高めるためにはとても重要だと思う、でもそれが自分の“自信”として付いてくるかどうかは別。きっと、知識や技術が“自信”として自分に付くために、最も大切な学ぶべきことは、“コミュニケーション能力”なんだと思う。そしてそれは、「自分に出来ないことをキチンと把握する」ということでもあります。

何故なら、「自分が何者であるのか?自分には何が出来るのか?」を自分に問うことの出来ない人は、他者に対して興味を持つことが出来ないから。自分に問えないということは自信を持てないということで、他者との接触は恐怖となる。誰かにすがるということもあるけれど、自分が何かに依存していることを了解しなければ人に溺れる。

実際には自分が何者で何が出来るかを知っている人なんてほとんどいないと思う。でも自分ではない者や出来ない事はちょっと自分に向き合えば知ることが出来るはず。
まだ何者にもなっていないのに可能性を潰すようなことはいけないことのように思えるけれど、何かに秀でた人というのは自分の”身の程“を知った上で自分の可能性を模索しているように思える。

出来る人は自分に出来ないことを知っている人。だから、自分には出来ないことを簡単にやってしまう人を見つける能力が高くなる。それはその人を尊敬できるということだから、協力を素直にお願いすることが出来る。人は誰かに頼りにされるということを幸せの一つとして感じるもので、“信頼”という名の下に関係は結びついていく。
その信頼関係こそがコミュニケーション能力であって、お互いに出来ること・出来ないことを補完し合える集団の一員となれたときに“自信”という安心感に似た勇気を持つことが出来るんじゃないだろうか?

そこに「存在の法則」、持ちつ持たれつの関係性を知ることができる。誰も一人では生きることは出来ない…それを知ってしまえば、みんなと共に生きる“自信”が付いてくるのだと思いませんか?

参:自立とは、依存を了解すること
一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり
みんなちがって、みんないい (金子みすず)




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