2009年07月26日

伝える言葉には、理解を含んではいない

伝える言葉には、理解を含んではいない

「気が合う」。 ひとつのコーヒーカップについてさえ幾千もの言葉で語り合える仲の良いカップルが結婚し、歳を重ねる毎にお互いに新しい発見をしては会話を重ね、ときにケンカをし、ときに新たな秘密を持ち、いつかは分かり合えることを望みながら一緒に暮らしていく。そして、最終的に行き着く理解とは、「沈黙」であるらしい。

なんとなく、仲の良いお年寄りのカップルや、古い友人同士は、会話を必要としていない感じがする。もっと言うと、お墓や仏壇の前に語る“死者との会話”こそが、最高のコミュニケーションといえるのかもしれない。

だから、会話や対話によって人は解り合うことはないのかもしれない。どちらかと言えば、言葉を重ねれば重ねるほどに物事は複雑化し、相手のことはよくわからなくなっていく。だからこそ魅力を感じ、更に相手のことを知りたくて会話をしたくなるんだけれども、対話によって得られるものは「相手と自分は違う」ということを認識するだけだと思う。

「話し合えばわかる」のならば、一度話し合ってしまえば会話する必要も会う必要もなくなるはずで、紛争や戦争など起こるはずもない。話し合うことによって解決される問題とは、解り合うというものじゃなくて、実は妥協しあったものであって、100%の自分の意見が尊重されるというものじゃない。「コミュニケーション=会話」だという風に考えるとどうしても矛盾を感じてしまのです。

僕の思うコミュニケーションは言葉じゃないもの、肌で感じる様な言葉にできない安心感のようなもの、だと考えています。例えば一緒にご飯を食べて心地よい相手なら相性がいいし、違うなら悪いとか。

身体的に感じるものの方が、会話的に納得するものよりも正直だ。なんだか分らないけれど良い感じ・悪い感じというその場所・人・状況・心境というものは誰でも知っているはずで、コミュニケーションってそういうものを感じあうことなんじゃないだろうか?
それを敏感にキャッチし合うことによって親近感を深めたり牽制したり、「あ、うん」の様な言わずもがなの様な「君子危うきに近寄らず」で適度なお付き合いができるはず。

それが複雑化された社会の中ではそんな好き・嫌いは許されず、理屈によって抑え込んで無理に付き合いストレスを溜めるしかなくなる。まるで、満員電車の中ギュウギュウに詰め込まれて運ばれるかのような人間関係の中、それを社会はコミュニケーションとしているんじゃないだろうか?

本当に大切な言葉は、言葉に出来ないんだと思う。僕達は楽しかった思い出を具体的に覚えていることはあまりない。楽しくなかったことにだけ、とても具体的な理由が存在し、幸せだった記憶はとても抽象的になる。


<一緒に見た空を忘れても、一緒にいたことは忘れない>

世の中を渡っていくために必要だとされているコミュニケーションとは会話じゃなくて、その言葉を受け取る身体的な感受性を高めることではないだろうか。無言の会話によって「本当に分り合えた」という人が多い。それは言葉以上の言葉を持った瞬間であり、その人と分かり合えたと言える瞬間ではないだろうか。

言葉は伝えるためにあります。でも、何故あんなことを言ったのか? 何故あんなことを言われなきゃいけないのか? 言葉通りの理解では分かり合えないとき、そんな無言の会話が必要なのかもしれないですね。



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この記事へのコメント
あぁ そうだった と思いました


「話してくれなくちゃわからないじゃない」
「だから口に出して言わないとダメなんだよ」

こんな事ばかり言ってた最近の自分を省みて
ため息が出てしまいました


口から出る一言が次の一言を呼び
どんどん膨れ上がって自分だけが正しい事を主張しだす
対話で得られるものは「違い」を認識することだけ
というayanpaさんの文にドキッとしました


言葉のピンポンを打ち合って分かり合えていたはずの関係なら
二人の間に今必要なのは 無言の会話なのかもしれません


反省しきりの今日でした
最後の3行を忘れないようにしたいと思っています
ありがとうございました
Posted by はーと at 2009年07月26日 21:27
はーとさんへ

誰かに何かを伝えるということ、誰かのメッセージを感じるということ。
コミュニケーション能力とは、非言語的なものが大半で言語的なものはほんの少ししかないのかもしれませんね。
五感と直感を全て駆使して会話できたらいいなと思うこの頃です。
霊能者にはなりたくありませんが…。
Posted by ayanpa at 2009年07月27日 19:12
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