2007年04月16日

「笑う」スイッチと「泣く」スイッチは近所にある 

東野圭吾「毒笑小説

<「悲劇」とは「喜劇」だ チャップリン
「羊が小屋から逃げてドタバタの逃走劇で人間が翻弄されて大爆笑だったのが、
羊が捕まってからというもの、主人は斧で羊の首を落とし殺してしまった…」>

確か中学の時の英語の教科書でこのような話があったと記憶しています。
主人公を人間に置くか羊に置くかで、「喜劇」と「悲劇」は入れ替わります。
「喜劇王」チャップリンの映画を違う視点で観て見ると全部「悲劇」に見えることで納得できます。

笑わせるのは、泣きそうにむずかしい。
笑いはある意味、その対象に悪意がないと成立しません。ガッハッハと笑う裏は「悪い心」を
くすぐられたような、他人事をバカにして面白い部分があります。それだけに、ヘタなことを言う
とスベったり、人格を疑われることになります。

自分の中にある「悲劇」を「喜劇」変え、それをみごとに表現できるお笑い芸人はすごい。
でも、人の「悲劇」を「喜劇」に変えるのではなく、悪意によって陥れ自分は安全な場所にいようとする人は酷い。

「イジメ」問題しかり世の中の「悪」と呼ばれるものは、内側と外側の温度差でできてしまう「社会」という“窓”についた「結露」のようなもので、それが「悲劇」となって戦争やシェイクスピアの4大悲劇のような状態を引き起こす場合があります。
そして、マスコミが「イジメ」自体などを“絶対悪”にしてしまい、イジメられている人が自動的に
“絶対弱者”にされてしまっていることで、告白することが自分自身に“弱者”のレッテルを貼る
行為と感じてしまい、「喜劇」に変えるチャンスを失わせているような気がするのです。

大人は「イジメはいけない、他人の不幸を笑ってはいけない」と言いながら、他人の不幸で
ある「お笑い」を見て笑う。その対象に自分がなったときは…。最初“笑わしていた”と思って
いたものが実は“笑われていた”ものだったり、本人にとっても周囲にとっても出発点やその
立場が違えば解釈も変わります。

だから「泣く」と「笑う」感情はとても近い場所にあって、指一本分の“ツボ”の圧しどころで
自分を「悲劇の英雄」にするか「お笑いスター」にするか決まってしまうのです。
またそこには「喜ぶ」「怒る」「哀しむ」「楽しい」の他に「しらける」という大きなツボも似たような
形で存在するそうです。

つまり、何か行動を起こして感情の揺さぶりを感じることとは、その“ツボ”をはからずもがな
圧すことではないでしょうか?  そして「感情のコントロール」とはその圧し所・圧し加減を
探していく作業なのであって、まったく圧さない無感情・無感動の状態ではないはずです。

“予測”して辞書をめくらなければ、不明の言葉の意味が「発見」できないように、物事の
「適応性」は意識的に自分が考えたことと実際に起こったことが一致したときにだけに見える
ことに思えます。

つまり、自分のあらゆる感情は、“自分で予測しながらツボを圧す”ことで、もちろん外れる
ことがあったとしても不明だった自分の心を「発見」することができるのではないでしょうか?
「前向きな気持ち」をいくら持っていても、周囲が自分の望む反応でない…とふさぎ込んで
しまう自分の心のすぐ傍に、「だからいいんだ」という心がいるはずです。

他人の不幸はおかしい、でも自分の不幸も笑える時があります。
現在が辛い状況で、心配したりもがいたり、苦しみから逃れようとのたうち回ったりしている時はとてもそんな風に考えることができず、自分の悲運を嘆くしかありませんが、そういった体験を繰り返していると、そのうち辛い状況に対する考えや身構え方に余裕が出てきて、落ち着いて対処できるようになります。

だから、何度もチャレンジして自分を笑い飛ばす「辛いは楽しい」という“ツボ”を圧した瞬間に自分の未来を恐れなくなるのではないでしょうか?


参:一年経てばすべて過去だ
「辛」に「一」を足したものが「幸せ」だ
待っている時間の長さは、つまり悟るための長さだ
イジメられるのは人間だからだ 岡本太郎



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この記事へのコメント
私はお笑いが大好きでよく見ますが、
いろんのタイプの才能あるお笑いの方がひしめいていて層が厚いですね。
彼らはどんなところにも、笑いのネタを発見します。
そのユニークな視点に舌を巻きます。

自分の悲劇は、うちひしがれている時は、
なかなか喜劇に昇華できませんが、
悲劇と喜劇は背中合わせと思っていると救われるかも。
Posted by 空凛 at 2007年04月18日 12:50
僕はもう笑うしかないと思って、うまくいかないときは泣きそうな顔をしながら車の中で大声を出すときがあります。
一人カラオケよりはずっと恥かしくなくストレス発散になるんですよ。
自分を笑い飛ばせるくらいの気概を持って生きていきたいと思う今日この頃です。
Posted by ayanpa at 2007年04月19日 21:44
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