2007年12月03日

僕がここに在る事は あなたの在った証拠

『僕がここに在る事は あなたの在った証拠』
(BY BUMP OF CHICKEN 「花の名」)

どうして言えない事が伝わるんだろう?
例えばそこに「桜」がある。 でもそれをわざわざ言葉にしなくても、桜の風の匂いや音を感じさえすれば、そこに「桜」の存在を十分に知ることができます。
一緒の時間を共に生き同じものを感じられたとしたら、それこそが「桜」として存在させる。今は同じでもこれからは変わってしまったり、失われていってしまうのかもしれない。
でも、そこに一緒に在ったことは忘れないでしょう。

真実は中心を捕らえない。その周囲を見渡し全体の中心となっているものを“共感”と呼ぶだけ。中心にあるものを捕らえようと必死に生きて、絶対的な真実を追い求めてやっと掴んだものは誰にも理解されず、渇いた砂のように指の間からこぼれ落ちてしまう。
「これが自分です、どうかわかってください。」と叫んでみても、みんなが耳を塞いで聞いてくれない、何より、自分自身が誰かの話を聞く心の余裕がない。

自分であることが嬉しいとき、自分を受け入れてくれる人がいることで思い出を喜ぶとき、誰かがそこにいたからで、いつでも“誰か”という存在が自分であることを教えてくれる。それならば“共感”こそが真実で、真実こそが“存在”なのだろう。
自分の居場所は、誰かとの関係の中にしか作れないものであって、一人だけの空間があることじゃないから、自分という存在を知るときには、必ず誰かと一緒にいる自分が在る。


<皆会いたい人がいる 皆待っている人がいる>

誰かと会うのが恐くて一人になろうとした。もうこれ以上自分に誰も構って欲しくなかった。一時の楽しさに身を沈めたら、それ以外の時間は尚更寂しくなった。これから生きていく勇気が欲しくて、愛にしがみついては裏切られ、それでも死ねない自分になお悲しんだ。でも、色々な迷いや葛藤(かっとう)の苦しみの中「こうしよう」と大きな勇気をふりしぼった小さな決断、そんなあなただからこそ、そんなあなただけに歌える唄がある。

“わたし”という存在は、あなたが生きている“証拠”です。
そして、“あなた”という存在は、わたしが生きている“証拠”です。

ジブンに会いたいと思える自分がいるのなら、いつでも必ずそんな自分を待っているジブンがいることを忘れないでください。あなたの唄は、あなたに会いたいと思う人に聴こえるはずです。その人は必ず近くに在ります、それはあなたが在るからです。




花の名/BUMP OF CHICKEN[CD]



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このカテゴリーの記事一覧⇒ 勇気が出る名言
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

▼ブログランキングに参加しています。クリックで応援していただけると励みになります。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ  
同じカテゴリー(勇気が出る名言)の記事
命は道を探す
命は道を探す(2010-01-03 18:13)

こころは成長する
こころは成長する(2009-11-02 09:38)

心は疲れない
心は疲れない(2009-09-08 06:24)


この記事へのコメント
今の自分があるということ、それが人との関係の上に立っているなどと普段は気づかないことです。社会的な関係ではもちろんまわりの人たちに助けられていることは当然なことですが、個対個となると狭まった関係の中でしか認識しないのではないでしょうか。いろんな経験を経て苦しみ、絶望し、また新しい人に会い、次の希望を見つける事ができ、そして次にまたまったく知らない生き方を経験する、そういう自分、そういうことを考えられる今の自分。それもこれも新たな出会いがあればこそ。たった一人で生きていると思っていた自分との決別と、新たな出会いによって一人だけでも生きられると気づいた前向きの自分。そして今の自分を受け入れられている自然さ。それが嬉しい。いつもありがとうございます。
Posted by ナルト at 2007年12月03日 14:10
こんにちはナルトさん。

自分が自分であること、自分を受け入れるということ。
それは、例えば「神」という存在はあるのか?という問いに似ていると思います。
あるようでない、ないようである…でもみんながそれを望んだとき、その存在は認められます。
だから、自分でジブンを望んでいるからこそ、誰かとの出会いが未来に待っていてくれるからこそ、自分の存在があるのかもしれませんね。
こちらこそ、コメントありがとうございました。
Posted by ayanpaayanpa at 2007年12月03日 14:50
どうして言えない事が伝わるんだろう?
では
どうして言いたい事が伝わらないんだろう?
言葉にして詳しく伝えようとすればするほど、信憑性に欠ける
結局、思考というものは、形に出来ないからでしょうか
形あるもの、目に見える確かさを求めてしまいますが・・・
そんな時ばかりでもないというか、あらゆる角度から眺める余裕を持っておきたいです
Posted by みどりん at 2007年12月10日 23:31
おはようございます、みどりんさん。
そうですね、言いたいことがちゃんと伝わらないと辛い…でもそんな時は相手も言いたいことが伝わらず苦しんでいる時ではないでしょうか?
真実はアリが大きな象を眺めることに等しいかもしれません。
鼻の先から順番に見ていき、そしてやっとのことで尻尾を見るころには鼻のことを忘れている…。
多分、形に出来ないというよりは、形をそこに留めておくことが出来ないものだから、せめて一緒にいたことを忘れないでいたいですね。
もし自分の見たものが誰かと同じものだったら、それこそが確かなものになるような気がします。
Posted by ayanpaayanpa at 2007年12月11日 07:11
はじめまして。

心がやっと笑ってくれました。
ぽっかり空いていた1頁。
この頁に何が書かれていたんだろう?
ずっと気になっていた自分の日記がやっと埋まった気持ちです。

そこに居ないから寂しいのではなかった。
そこに居たのに孤独を感じたから苦しかった。
もう人を信じて傷付きたくないから、誰も信じなくなった。
恋人も親友も家族もみんな、本当は信じて居なかった。
そんな自分を好きにもなれる訳もなく
人に愛される事も選ばず
心を閉ざして強がって生きてきた
誰かといる孤独より独りぼっちの方がよっぽど苦しくなんかなかった
強い人だね、そう言われても、みんなが弱すぎるだけとさえ思ってた

でも。そんな自分も…ある時孤独を恐ろしいと思うようになった
誰かに縋り泣きたい夜が来るとは思わなかった。

人は誰も…
「あなた」を必要とし
「私」を必要と思って欲しい生き物なのだと思う。

誰かの為だからこそ溢れ出る力は計り知れない世界を作り、想像もしなかった自分を教えてくれた。
まさにあなたがここに在る事が私が生きる証なのだと
もう一度、人を信じてみたいと
素直に恋をしている自分は結構嫌いじゃないと思った。

そう思えるのは「あなた」に出会ったからだと、打ち明けたいなぁ。

そんな事を思いつつ、心に染みるblogを読ませて頂いた私です。
Posted by 三日月 at 2007年12月30日 22:29
はじめまして三日月さん。
すばらしい表現力ですね、自分の言葉を持つということは素敵なことだと思います。
たとえ花火のように言葉にしたとたんに”思い”が消えてしまったとしても、そこに”思い”が在ったことは忘れないでしょう。
苦しいのに、辛いのに、どうして人は恋をするんでしょうね。
もしかしたら、そこに”生きる証”があることを本能が知っているからかもしれません。
傷ついて、後悔して未来を恐れて…でもまた人は歩き出す。
すばらしい未来の自分に出会えたら、今の自分を褒めてくれるかな?
僕は未来に打ち明けたい、未来の「あなた」や「僕」があるから僕が今生きているのだと…。
信じるべき存在は、好きな自分に近づいてくる人かもしれませんね。
コメントありがとうございました。
Posted by ayanpaayanpa at 2007年12月31日 18:20
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。