2008年05月09日
“怒り”とはエネルギーだ
たった一言がその人を最悪な気持ちにしてしまう時があります。
色々な誤解・偏見・処遇・立場…自分の心の奥にある柔らかい部分をザクリと無造作にスコップでえぐり取られて、手で抑えても傷口からドクドクと血がこぼれていってしまうような痛み。
相手をコテンパンにやっつけたらどんなにすっきりするだろう? でも自分の嫌悪を誰かにぶつけて解消しようとすれば、振り上げた拳はやり場のない自分に突き刺さり傷口をさらに大きくしてしまう…どうして自分ばかりが…。
多分、そんな時の僕は、自分に負けているときなのだ。
わかってもらえない、認めさせたいと言っている自分が誰のことも一番わかっていない。
どうしてそんなことを言われないといけないのか、どうしてその一言が人を傷付けることがわからないのか…その中に自分よりも相手が痛い目に遭えばいいと願っていることに気付かない。
負けている自分の姿を見透かされているような気がして、そうじゃない!と言いたいのに完全に否定できない自分がいることに哀しい…そして負ける言葉は暴力になる。やがてそのエネルギーは憎しみに変わり、許せないのは自分になる。そのまま時間が経てば、風船が萎んでいくように体中から力が失われてしまう。
そんな時大切なことは、“怒り”という形で色々な人や状況からエネルギーをもらっていると考えてみる。水のように無色透明で変幻自在なエネルギーだと。その性質上、逆に僕達はそのエネルギーをどのように使っても自由…そのまま受けた相手に返すのも自由、違うカタチにして使うのも自由、エネルギーであればあらゆる自分の“力”となるのです。
だから僕達は大いに怒らなければならない…エネルギーを力に変えるために。何かに噛みつくだけの怒りがそこにあるのなら、「心を入れ替える」必要なんてない。一見誠実そうに見えるその言葉の裏にはいつも自分を誤魔化して違う人格に見せようとする「嘘」があるから。
「心機一転」という言葉があるけれど、その心は“替える”ものではなくて転じさせて“変える”ことに意味があるのだと思う。怒りや不満・不安をぐっと“呑み込む”。 ただそれだけでは終らせない、自分の内面でそのエネルギーが変化していくのをジっと観察していく。そのエネルギーが自分にどう使って欲しいのかを聞き出すかのように。
その途中、胃がキリリと痛み、せり上がってくる震えで全身が硬直してしまうかもしれない。
吐き出せたらどんなに楽だろう? そのエネルギーは自分にとっては“毒”が体内に注入されるように危険で、備蓄すれば身を滅ぼしかねない。でも、正気を失わず見続ければある地点で違う表情を持ちながら膨らみ、そしてパァっと弾けて全身にみなぎってくる。人がそのエネルギーを“自分の力”として放出するとき、“火事場のクソ力”のように潜在能力をフルに使うことができるようになるのです。
ずっと僕達は「怒ってはいけない」と教育されてきた。その結果、表面的な争いは無くなった。
でも、大人げないと何事にも我慢して、ニコニコと良い顔を見せることだけに努力させると、陰湿なイジメなど内面的な闇が増えて、今度は生きる力自体が失われてしまうと思うのです。それはハサミの使い方を危ないという理由で教えないのと同じ。大量に虐殺された象の子孫は牙を長く成長させないように学ぶ、殺されないために。
もし怒りが「やる気」に変換されるのならば、僕達は可能性を掴む力を信じるようになる。
エネルギーはいつでもはけ口を探しているのです。だから僕達は“しかるべき蛇口”を開いて出してあげればいい。「怒る」ことは力に変わる。「優しさ」とはそれを抑えるのではなく活かすことを学ぶことなのだと思います。
参:孤独とは、狭く閉ざされたものではなく、むしろ社会的広がりのある生き方だ
「優」とは「人」が「憂う」と書く
魂が「危機」に陥る時こそ、「創発」は起こる
色々な誤解・偏見・処遇・立場…自分の心の奥にある柔らかい部分をザクリと無造作にスコップでえぐり取られて、手で抑えても傷口からドクドクと血がこぼれていってしまうような痛み。
相手をコテンパンにやっつけたらどんなにすっきりするだろう? でも自分の嫌悪を誰かにぶつけて解消しようとすれば、振り上げた拳はやり場のない自分に突き刺さり傷口をさらに大きくしてしまう…どうして自分ばかりが…。
多分、そんな時の僕は、自分に負けているときなのだ。
わかってもらえない、認めさせたいと言っている自分が誰のことも一番わかっていない。
どうしてそんなことを言われないといけないのか、どうしてその一言が人を傷付けることがわからないのか…その中に自分よりも相手が痛い目に遭えばいいと願っていることに気付かない。
負けている自分の姿を見透かされているような気がして、そうじゃない!と言いたいのに完全に否定できない自分がいることに哀しい…そして負ける言葉は暴力になる。やがてそのエネルギーは憎しみに変わり、許せないのは自分になる。そのまま時間が経てば、風船が萎んでいくように体中から力が失われてしまう。
そんな時大切なことは、“怒り”という形で色々な人や状況からエネルギーをもらっていると考えてみる。水のように無色透明で変幻自在なエネルギーだと。その性質上、逆に僕達はそのエネルギーをどのように使っても自由…そのまま受けた相手に返すのも自由、違うカタチにして使うのも自由、エネルギーであればあらゆる自分の“力”となるのです。
だから僕達は大いに怒らなければならない…エネルギーを力に変えるために。何かに噛みつくだけの怒りがそこにあるのなら、「心を入れ替える」必要なんてない。一見誠実そうに見えるその言葉の裏にはいつも自分を誤魔化して違う人格に見せようとする「嘘」があるから。
「心機一転」という言葉があるけれど、その心は“替える”ものではなくて転じさせて“変える”ことに意味があるのだと思う。怒りや不満・不安をぐっと“呑み込む”。 ただそれだけでは終らせない、自分の内面でそのエネルギーが変化していくのをジっと観察していく。そのエネルギーが自分にどう使って欲しいのかを聞き出すかのように。
その途中、胃がキリリと痛み、せり上がってくる震えで全身が硬直してしまうかもしれない。
吐き出せたらどんなに楽だろう? そのエネルギーは自分にとっては“毒”が体内に注入されるように危険で、備蓄すれば身を滅ぼしかねない。でも、正気を失わず見続ければある地点で違う表情を持ちながら膨らみ、そしてパァっと弾けて全身にみなぎってくる。人がそのエネルギーを“自分の力”として放出するとき、“火事場のクソ力”のように潜在能力をフルに使うことができるようになるのです。
ずっと僕達は「怒ってはいけない」と教育されてきた。その結果、表面的な争いは無くなった。
でも、大人げないと何事にも我慢して、ニコニコと良い顔を見せることだけに努力させると、陰湿なイジメなど内面的な闇が増えて、今度は生きる力自体が失われてしまうと思うのです。それはハサミの使い方を危ないという理由で教えないのと同じ。大量に虐殺された象の子孫は牙を長く成長させないように学ぶ、殺されないために。
もし怒りが「やる気」に変換されるのならば、僕達は可能性を掴む力を信じるようになる。
エネルギーはいつでもはけ口を探しているのです。だから僕達は“しかるべき蛇口”を開いて出してあげればいい。「怒る」ことは力に変わる。「優しさ」とはそれを抑えるのではなく活かすことを学ぶことなのだと思います。
参:孤独とは、狭く閉ざされたものではなく、むしろ社会的広がりのある生き方だ
「優」とは「人」が「憂う」と書く
魂が「危機」に陥る時こそ、「創発」は起こる
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Posted by ayanpa at 14:51│Comments(9)
│勇気が出る名言
この記事へのコメント
面白い文章ですね!
私は、怒る事が苦手です。
それは、自分がされると嫌だからです。
ただ、怒ってくれる人に対して、
以前は大きな憎しみしかありませんでしたが、
今は、パワーを使って怒ってくれる事に感謝しています。
きっと僕がそこに愛情を感じるようになったからだと思います。
不思議なものですね。
ただあまり怒ってパワーを使って
体を壊さないようにしてくださいね。
私は、怒る事が苦手です。
それは、自分がされると嫌だからです。
ただ、怒ってくれる人に対して、
以前は大きな憎しみしかありませんでしたが、
今は、パワーを使って怒ってくれる事に感謝しています。
きっと僕がそこに愛情を感じるようになったからだと思います。
不思議なものですね。
ただあまり怒ってパワーを使って
体を壊さないようにしてくださいね。
Posted by hiroshima at 2008年05月09日 20:30
hiroshimaさんへ
はじめまして、コメントありがとうございます!
憎しみににた感情をぶつけられているのに、愛情を感じてしまうというのは、本当に不思議な感覚ですよね。
もしかしたら、「叱る=怒り+愛情」という公式が成り立つかもしれません。
「あなたを愛しているわよ~~!」と怒る人とかもいませんし、「あなたのためなのよ」とかいう人も偽善的、ただただ怒る人はただただ謝って欲しいだけ…。
まず最初に、怒りというエネルギーがぶつかりあって、その後に強烈に抱きしめあう心の対話…「怒る」は「叱る」に変化するものであって、「怒る」を決してなくしてはいけないし、暴走させてもいけないのだと思います。
お酒と同じ、男はほろ酔い・女は湯上り、ほどほどにして壊さないように気を付けます!
はじめまして、コメントありがとうございます!
憎しみににた感情をぶつけられているのに、愛情を感じてしまうというのは、本当に不思議な感覚ですよね。
もしかしたら、「叱る=怒り+愛情」という公式が成り立つかもしれません。
「あなたを愛しているわよ~~!」と怒る人とかもいませんし、「あなたのためなのよ」とかいう人も偽善的、ただただ怒る人はただただ謝って欲しいだけ…。
まず最初に、怒りというエネルギーがぶつかりあって、その後に強烈に抱きしめあう心の対話…「怒る」は「叱る」に変化するものであって、「怒る」を決してなくしてはいけないし、暴走させてもいけないのだと思います。
お酒と同じ、男はほろ酔い・女は湯上り、ほどほどにして壊さないように気を付けます!
Posted by ayanpa
at 2008年05月10日 07:50

久しぶりに怒りました。
職場での不合理に対して。新しいやり方にはついていけない、そのやり方には賛成できないと言ったら、協力的でない、責任感が無い、仕事のやり方が間違っている等の事を言われました。
10名ほどの会議の中でひとり浮き上がってしまいました。
それにしても、なぜ皆が声をそろえて上の者に同調してしまうのか、
もっと下の従業員達はわけもわからず、反対もできず、ただ従うしかない者たちばかり。そんな大勢の人たちも気持ちも汲まず、上の者達ばかりで決めてしまう。反対もいえないほどもっともらしい理想的な理由を掲げて。
本当に腹が立ちました。辞表も書き始めました。
それでも辞める事もできない理由があって何も言えない人たちも多いのだろうな、と、だから黙っているのだろうな、とも思ったりして気の毒だとも思いました。。
だけど、私は敢えて怒りたい。間違った事には。
私のこれまでの考え方、生き方を踏みにじられているように感じた。一方では、もしかしたら、私の方が間違っているかもしれないとも思う。
だが、何と言われようとこれから後の短い人生を生きていくには意志を変えてしまえる都合のよい生き方はできないのです。
哀しい自分がいます。
職場での不合理に対して。新しいやり方にはついていけない、そのやり方には賛成できないと言ったら、協力的でない、責任感が無い、仕事のやり方が間違っている等の事を言われました。
10名ほどの会議の中でひとり浮き上がってしまいました。
それにしても、なぜ皆が声をそろえて上の者に同調してしまうのか、
もっと下の従業員達はわけもわからず、反対もできず、ただ従うしかない者たちばかり。そんな大勢の人たちも気持ちも汲まず、上の者達ばかりで決めてしまう。反対もいえないほどもっともらしい理想的な理由を掲げて。
本当に腹が立ちました。辞表も書き始めました。
それでも辞める事もできない理由があって何も言えない人たちも多いのだろうな、と、だから黙っているのだろうな、とも思ったりして気の毒だとも思いました。。
だけど、私は敢えて怒りたい。間違った事には。
私のこれまでの考え方、生き方を踏みにじられているように感じた。一方では、もしかしたら、私の方が間違っているかもしれないとも思う。
だが、何と言われようとこれから後の短い人生を生きていくには意志を変えてしまえる都合のよい生き方はできないのです。
哀しい自分がいます。
Posted by naruto at 2008年08月02日 21:24
>narutoさんへ
コメントありがとうございました。
>人生を生きていくには意志を変えてしまえる都合のよい生き方はできない
まったくその通りだと僕も思います。だからこそ、生きる苦しみはあえて受け止めなければならないんですよね。
でも、僕はnarutoさんが辞表を出すのは、その怒りをエネルギーに変えて”新しいやり方”についての再提案をしてからでも遅くないと思う。
色々な不条理に耐えてきたのが人間の歴史というもので、みんな「正論」という反論の出しようのない”心の通わない会話”に従い「ただなんとなく」生きる人達にとってはそれが普通なのだから、narutoさんが普通じゃなく映るのは仕方がないことなのかもしれません。
僕は「正論」が嫌いです。「戦争はいけない」とか「世のため人のため」とか。
彼らの理屈は誰からも文句が出ないことを前提に作られていて、対話や議論の余地を認めない創造性のない言葉だから。 彼らの理屈を立証するためには、皮肉にも「戦争が起こってひどい目に遭う」「世のため人のためにならない悪行」が起こらなければならない。
>もしかしたら、私の方が間違っているかもしれないとも思う。
そうなんです、人間の対話とは自分が100%じゃないし、あなたも100%じゃないんだから、お互いに納得できるところへ議論して向かっていこうじゃないか、というのが”会議”だと思う。
良い議論をするためには、まず自分を知らなければならない。
だから、相手の意見に従うわけじゃない、自分の見方を変えてみるということ。
narutoさんの意思とは、辞めることで達成できるのですか?
コメントありがとうございました。
>人生を生きていくには意志を変えてしまえる都合のよい生き方はできない
まったくその通りだと僕も思います。だからこそ、生きる苦しみはあえて受け止めなければならないんですよね。
でも、僕はnarutoさんが辞表を出すのは、その怒りをエネルギーに変えて”新しいやり方”についての再提案をしてからでも遅くないと思う。
色々な不条理に耐えてきたのが人間の歴史というもので、みんな「正論」という反論の出しようのない”心の通わない会話”に従い「ただなんとなく」生きる人達にとってはそれが普通なのだから、narutoさんが普通じゃなく映るのは仕方がないことなのかもしれません。
僕は「正論」が嫌いです。「戦争はいけない」とか「世のため人のため」とか。
彼らの理屈は誰からも文句が出ないことを前提に作られていて、対話や議論の余地を認めない創造性のない言葉だから。 彼らの理屈を立証するためには、皮肉にも「戦争が起こってひどい目に遭う」「世のため人のためにならない悪行」が起こらなければならない。
>もしかしたら、私の方が間違っているかもしれないとも思う。
そうなんです、人間の対話とは自分が100%じゃないし、あなたも100%じゃないんだから、お互いに納得できるところへ議論して向かっていこうじゃないか、というのが”会議”だと思う。
良い議論をするためには、まず自分を知らなければならない。
だから、相手の意見に従うわけじゃない、自分の見方を変えてみるということ。
narutoさんの意思とは、辞めることで達成できるのですか?
Posted by ayanpa
at 2008年08月03日 07:44

コメントありがとうございました。
物事に対して何故かひいて見てしまう見方をしてしまうところがあります。
みんながそう言う気持ちならば自分なんかいない方がいいのでは無いかとおもってしまうのです。
自分を省みず、ひとりで生きていくのも仕方が無い事だと諦めてしまうところもあります。
ayanpaさんのコメントをいただいて、少しファイトがわきました。精一杯抵抗して、潔い最期を送りたいと思います!
物事に対して何故かひいて見てしまう見方をしてしまうところがあります。
みんながそう言う気持ちならば自分なんかいない方がいいのでは無いかとおもってしまうのです。
自分を省みず、ひとりで生きていくのも仕方が無い事だと諦めてしまうところもあります。
ayanpaさんのコメントをいただいて、少しファイトがわきました。精一杯抵抗して、潔い最期を送りたいと思います!
Posted by naruto at 2008年08月03日 10:16
はじめまして!
僕自身も、学校や親から周りと仲良くしろ、怒るな、優しくしろ、と言われて育ってきました。
ただ最近、「怒り」が生きるエネルギーとして必要不可欠なのでは、と思い初めまして、
ネットサーフィンでここに辿り着きました。
「どんな状況でも怒るな」と言うのは違いますよね。
自分なりの分析で周りが間違ってる、という結論が出ても
怒っちゃいけないとなるともうどうしていいか分かりません。
やはり正当な怒り、はエネルギーに変える事で良い方向に向かうと思います。
僕自身も、学校や親から周りと仲良くしろ、怒るな、優しくしろ、と言われて育ってきました。
ただ最近、「怒り」が生きるエネルギーとして必要不可欠なのでは、と思い初めまして、
ネットサーフィンでここに辿り着きました。
「どんな状況でも怒るな」と言うのは違いますよね。
自分なりの分析で周りが間違ってる、という結論が出ても
怒っちゃいけないとなるともうどうしていいか分かりません。
やはり正当な怒り、はエネルギーに変える事で良い方向に向かうと思います。
Posted by mizkita at 2008年08月03日 23:04
>narutoさんへ
人生は多数派形成ゲームのようなものです。
narutoさんの怒りのエネルギーがみんなを惹きつける力になるといいですね。「なるほど!」と言わせた方が勝ちです。頑張ってください。
>mizkitaさんへ
「どんな状況でも怒るな」とは、エネルギーの有効活用を考えよと解釈するならいいのですが、それ自体の禁止はねじれた感情しか生み出さないと僕も思います。
仲良くやさしく…とは「怒り」のエネルギーの使い方を知らない人はそうなれないはずなのですから…。
人生は多数派形成ゲームのようなものです。
narutoさんの怒りのエネルギーがみんなを惹きつける力になるといいですね。「なるほど!」と言わせた方が勝ちです。頑張ってください。
>mizkitaさんへ
「どんな状況でも怒るな」とは、エネルギーの有効活用を考えよと解釈するならいいのですが、それ自体の禁止はねじれた感情しか生み出さないと僕も思います。
仲良くやさしく…とは「怒り」のエネルギーの使い方を知らない人はそうなれないはずなのですから…。
Posted by ayanpa
at 2008年08月04日 19:48

怒りは脳にどの様な影響を与えるのか気になります。
顔つきはきりっとしいぇ雰囲気もひきしまる感じがしますが
カッコいいと怒りは精通してますか?
顔つきはきりっとしいぇ雰囲気もひきしまる感じがしますが
カッコいいと怒りは精通してますか?
Posted by 俊樹 at 2011年07月02日 01:54
怒りは生命力の源ですね。昔老人ある老人ホームでみた書画にそんなことが書いてありました。怒りは死ぬまで必要なものだとか。6年前に偶然そのことに気がついて自然に湧いてくる怒りの感情を阻害せずに上手に活力へ変換することに成功しました。
75kgあったメタボな体は半年後には63kgへ。体脂肪も10%を割り、別人へ生まれ変わったのが歴然たる証拠です。
今海外へ舞台を移し、医療通訳をしながら日本人を助けています。怒りは生命力の源です。
75kgあったメタボな体は半年後には63kgへ。体脂肪も10%を割り、別人へ生まれ変わったのが歴然たる証拠です。
今海外へ舞台を移し、医療通訳をしながら日本人を助けています。怒りは生命力の源です。
Posted by MOTObosa2 at 2011年07月04日 16:04
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