2008年09月10日

人間は“リズム”で出来ている

自律神経。心臓をはじめ、呼吸、発汗、痛感反射…など、“無意識”に行われる生きるための身体のしくみ。当然のことながら「ツイてる!」と思えるほど気持ちが高揚しトントン拍子で物事が進む “調子が良い”時と、何をやってもタイミングが悪く不整脈や動悸・過呼吸または不感症・無反応と物事と自分が「ズレてる」“調子が悪い”時があります。

結果を求め過ぎるから、精一杯になるより焦りが多くなる。精一杯やって結果がだめだったとしても、もうそれは仕様がないことなのだ。だって仕様があるのは、「精一杯出来なかった自分」であるから。

じゃあ、どうすれば精一杯になれるかというと、「焦らない」、ということになる。
でも「精一杯」と「焦り」はとても似ているのに、いったい何が違うのだろう? その二つはどちらも頑張っていることに変わりがない、自分の可能性に自分を投げ出している・・・でも、一点だけ違う部分がある、それは「自信」。ただ「自分ならできる」と思えばいいということじゃないし、自信があるから行動できるというものでもない。自信は“ある”んじゃなくて、行動して“付く”ものだから。

それができないから「焦る」。自分にはどこかに大きな欠点があって、それが物事をうまくいかせていないんじゃないか? と自分を疑えば、「自信」はなくなる。自分のやり方を疑うから「頑張っても出来ない」と思うしかなくなる。
そう思っているときは、いつだって、“まだ何も起こっていない”ときなのだ。もし何か起こっていたとしたらそんなことは考えない、起こった出来事に対応するので“精一杯”になるはず。結局のところ、「焦り」とは「出来なかったときの言い訳」として頑張っているようで後ろ向きに力が働いてしまっていることではないでしょうか?

焦らず物事を行うのは難しい。 焦らないように努力しても心臓の震えが恐怖をかき立てる。そんなときのコントロール可能なもの…「呼吸」。
病気をすると「体調を崩す」と言い、物事がうまくいかないとき「調子が悪い」と言う。それは、“無意識”という下のパートと“意識”という上のパートのリズム(調子)の合い具合のことです。

「呼吸」はその“無意識”と“意識”両方に属しながらコントロールする「指揮者」のような役割をするのです。ゆっくりとゆっくりと丹田呼吸法、瞑想、座禅、ヨガ、散歩、なんでもいい、自分の内側に意識を重ねていくかのように気持ちを無意識に「落として着かせる」ことが「落ち着く」となる。それが「自信」となり、“精一杯”に頑張れるのではないでしょうか?

そう考えると、自分の「調子」は呼吸によって約60億の細胞をリズムに乗せているように思える。宇宙のリズムの中、人間もその自然のリズムの一部になっている。晴れたり雨が降ったり暑かったり寒かったり、風の強い日、空に吸い込まれそうになる日、いつだって僕達はそんなリズムの中に生きている。

焦っても現実には言い訳にならない、現実のリズムに逆らわず対応させる以外に方法はない。主旋律になっているリズムが見つかれば、後はそれに調子を合わせていけばいい。
焦る余裕があるのならば、自分の望みはいったいどこにあるのか?必死に考えてみたほうがいいと思う。だって、望みがないことに頑張ろうとするから「焦って」しまうのだから。

参: 「自由になれば、そこから何かが見つかるんだ」



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