2009年02月17日
臆病さと強さは相反しない
自分に怯み(ひるみ)を抱いてしまうとき。何もかもが心配や不安でいっぱいになって、自分を小さく小さくしてしまうときがあります。過去の失敗からか、未来への無知のせいなのか、どちらにせよ条件的な物事に縛りつけられて想像力が一向に発揮できないのです。
あれこれ改善すべき事を考えてみるものの、それを行動に移すための気力がついてこない。そんなときは自分の望まない世界を自分で拡げてしまっているからなのです。僕たちは地面にくっついて生きているから、地べたのことは掘ったりさわったりできるので具体的に考えることが出来るけれども、天の空のことは飛んでみても言葉通り「雲を掴む」ような漠然とした考えしか出来ない。
気持ちが落ち込んだとき、まずまっさきに考えられることは目に見えるわかりやすい価値観だろうし、具体的に感じる物事以外は信じることができない。僕たちの未来は“未知”の世界だから、見えることばかり考えていては自分の望む世界は拡がらないように出来ているのかもしれない。それは何も考えないか、いい加減な気持ちになればいいというわけではなくて、もっと大きくてもっと広い自由な世界があるということを実感として捉えること…臆病になってしまうとき人の選ぶ道は二つ、逃げるか受け止めるか。逃げるとますます小さくなるし、受け止めるにはその不安よりも何かを大きくしなければならない。
大きな何かとは自分というキャンパスの枠よりもはみ出したものを想像すること。
そんな時人は空を仰いでその青さを改めて知る。「ああ、空ってこんなに青かったんだ」と。わかりきったこと、当たり前だったことに純粋に感動できる自分が嬉しくなる。
そうして、小さくなってしまっている自分が妙にバカらしく思えるから不思議だ。
状況が変わってしまっても、自分という存在は変わらない。いつの間にか状況に合わせて自分のペースというものを忘れてしまっただけ。合唱で他の人のパートにつられて巧くハモることができなくなっているだけ。
自分のパートを、ペースを状況に惑わされずにもう一度思い出せば、状況は自分にとってハーモニーとなります。決して都合の悪い状況を無視しない、ひとつのメロディとして楽曲の一部分として捉える。それが自分の望む世界を拡げる想像力であり、怯まない状況を創りだす。
具体的な不安がぶつかってそれを真正面で受け取ってしまったとき、それを想像で包んで自分の脇へそっと置くぐらいの気持ち。深く深呼吸してみぞおちよりも下に不安を落として着かせる。臆病であればあるほどにそのチャンスは与えられ、人は強くなっていくのだと僕は思います。
不安を抱え込んでなお安心できる存在になったのだとしたら、それは「強い」ということなんだと思いませんか?
参:強いとは弱さを知ること
誰も知らない世界へ向かっていく勇気を“ミライ”と言う
あれこれ改善すべき事を考えてみるものの、それを行動に移すための気力がついてこない。そんなときは自分の望まない世界を自分で拡げてしまっているからなのです。僕たちは地面にくっついて生きているから、地べたのことは掘ったりさわったりできるので具体的に考えることが出来るけれども、天の空のことは飛んでみても言葉通り「雲を掴む」ような漠然とした考えしか出来ない。
気持ちが落ち込んだとき、まずまっさきに考えられることは目に見えるわかりやすい価値観だろうし、具体的に感じる物事以外は信じることができない。僕たちの未来は“未知”の世界だから、見えることばかり考えていては自分の望む世界は拡がらないように出来ているのかもしれない。それは何も考えないか、いい加減な気持ちになればいいというわけではなくて、もっと大きくてもっと広い自由な世界があるということを実感として捉えること…臆病になってしまうとき人の選ぶ道は二つ、逃げるか受け止めるか。逃げるとますます小さくなるし、受け止めるにはその不安よりも何かを大きくしなければならない。
大きな何かとは自分というキャンパスの枠よりもはみ出したものを想像すること。
そんな時人は空を仰いでその青さを改めて知る。「ああ、空ってこんなに青かったんだ」と。わかりきったこと、当たり前だったことに純粋に感動できる自分が嬉しくなる。
そうして、小さくなってしまっている自分が妙にバカらしく思えるから不思議だ。
状況が変わってしまっても、自分という存在は変わらない。いつの間にか状況に合わせて自分のペースというものを忘れてしまっただけ。合唱で他の人のパートにつられて巧くハモることができなくなっているだけ。
自分のパートを、ペースを状況に惑わされずにもう一度思い出せば、状況は自分にとってハーモニーとなります。決して都合の悪い状況を無視しない、ひとつのメロディとして楽曲の一部分として捉える。それが自分の望む世界を拡げる想像力であり、怯まない状況を創りだす。
具体的な不安がぶつかってそれを真正面で受け取ってしまったとき、それを想像で包んで自分の脇へそっと置くぐらいの気持ち。深く深呼吸してみぞおちよりも下に不安を落として着かせる。臆病であればあるほどにそのチャンスは与えられ、人は強くなっていくのだと僕は思います。
不安を抱え込んでなお安心できる存在になったのだとしたら、それは「強い」ということなんだと思いませんか?
参:強いとは弱さを知ること
誰も知らない世界へ向かっていく勇気を“ミライ”と言う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このカテゴリーの記事一覧⇒ 勇気が出る名言
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼ブログランキングに参加しています。クリックで応援していただけると励みになります。


Posted by ayanpa at 12:58│Comments(2)
│勇気が出る名言
この記事へのコメント
何も知らなかった頃
怖いものなんてなかったちっちゃな子供の頃
怪我もするし痛い思いもしたわけです
たくさんの経験をし、たくさんの事を知るようになって臆病さが身につくんでしょうね
怖さを知らないで無茶な行動をとる事が強いという事ではないんですね
自分のおかれた状況を的確に判断して
どう行動すればいいかを考えることが出来るようになる
そして一番いい方法を見つけられる
それが目指す「本当の大人」なのかもしれませんね
身体ごと後ろに倒れて大きな空を見ると
本当に自分が小さい事に気付かされます
きれいな青色はいつも自分の上にある事に改めて気付かされます
周りばかりを気にしている時は結局視野が狭く自分に拘っている時なのかもしれません
自分の価値を忘れて自分を見失ってしまうんでしょうか
小さな自分を小さなものと受け止めて
それでも自分は自分だ と、その価値を受け入れられるようになった時
キャンバスの枠は自然に広がっていくのかもしれませんね
今日も考える時間をありがとうございます♪
怖いものなんてなかったちっちゃな子供の頃
怪我もするし痛い思いもしたわけです
たくさんの経験をし、たくさんの事を知るようになって臆病さが身につくんでしょうね
怖さを知らないで無茶な行動をとる事が強いという事ではないんですね
自分のおかれた状況を的確に判断して
どう行動すればいいかを考えることが出来るようになる
そして一番いい方法を見つけられる
それが目指す「本当の大人」なのかもしれませんね
身体ごと後ろに倒れて大きな空を見ると
本当に自分が小さい事に気付かされます
きれいな青色はいつも自分の上にある事に改めて気付かされます
周りばかりを気にしている時は結局視野が狭く自分に拘っている時なのかもしれません
自分の価値を忘れて自分を見失ってしまうんでしょうか
小さな自分を小さなものと受け止めて
それでも自分は自分だ と、その価値を受け入れられるようになった時
キャンバスの枠は自然に広がっていくのかもしれませんね
今日も考える時間をありがとうございます♪
Posted by はーと at 2009年02月25日 21:40
「自分の人生=自分」
当然であるはずのことなんですが、「こんなはずじゃなかった」とそう受け入れられないことがあります。
自分に起こる全てのことが自分自身のことだと思えないと、その臆病さはじわりじわりと自分の人生に責任を持てなくなってしまうのです。
自分が自由であると主張するためには、全ての責任を自分が負う覚悟が必要なわけで…、結局何が恐いのかといえば、自分の人生の責任者になるのが恐いんです。
とても簡単でシンプルなこと…それが僕達に一番複雑で難しい問題なのかもしれませんね。
当然であるはずのことなんですが、「こんなはずじゃなかった」とそう受け入れられないことがあります。
自分に起こる全てのことが自分自身のことだと思えないと、その臆病さはじわりじわりと自分の人生に責任を持てなくなってしまうのです。
自分が自由であると主張するためには、全ての責任を自分が負う覚悟が必要なわけで…、結局何が恐いのかといえば、自分の人生の責任者になるのが恐いんです。
とても簡単でシンプルなこと…それが僕達に一番複雑で難しい問題なのかもしれませんね。
Posted by ayanpa at 2009年03月02日 11:52
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。