2009年04月05日

最初の一歩を信じなさい

最初の一歩を信じなさい

<道の全部が見えなくてもいい、まず最初の一歩を進んでほしい>

「希望」は懐中電灯のようなもの。真っ暗闇に一人怯えて前に進むことができないとき、一丁の懐中電灯があったらどうだろうか? 昼間のように自分とそのまわり全体を照らすことは出来ないので、あっても頼りないと感じるかもしれない。でも無いよりはまだあった方がマシだと思うはず。

せいぜい5メートル先までしか照らせないので、足元をよく確認しながらでないと先へ進むことはできません。でも、それだけの範囲が照らせるのであれば、どれだけ先が闇であっても前へ進むことは可能なのです。5メートル進んだ先もその次の5メートル先も、光はいつもその5メートル先を照らし続ける。

だからもし、希望という懐中電灯が弱く頼りないものであったとしても、ずっと何かを照らすだけの力さえあれば次々と道は拓かれていくという事実。
それは一重に自分の持つ希望というものを“信じる”ということであり、そこに安心や勇気というものを託すということによって電池は切れることなく最後まで照らし続ける。希望は夜空に光る一つの星のように遠くで微笑んでいるかのようなものにも思えるし、海の水平線の向こう側で待っているかのような、どちらにせよ自分の手が届かない存在として考えているのかもしれない。

でも、時には自分の足元だけを照らす希望だってあるのだ。先の見えない怖さに足がすくんで夢も希望もないと思うとき、今自分が何を持っているのか、どんな可能性が残っているのか?という考えまで中々行きつかない。
ただ闇を呪い、自分を包む恐怖に慄き、小さく身を縮めてジッとそれが一夜の悪夢であることを祈って耐えようとする。それでも一向に朝日が射さない自分に焦りなんて不運なんだと、嘆くばかりでそこから一歩も前に進むことが出来なくなりやすい。
「こんなはずじゃなかった」「いったい自分は何がしたかったんだろう?」と思う時にこそ、ほんのささやかかな灯りでいい、自分の足元だけでも照らす「どうしたい?」という希望を持ってみる。

あれこれ心配して何をやってもダメなとき、何も考えずただ自分の立ち位置を認めたとしたならば、千歩先が見えなくてもそこからまず一歩は踏み出せるはず。焦らなくていい、自分の周りは崖だらけで動けば落ちてしまいそうだと思った現実はそこから先へ進んで行くのだと思います。



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この記事へのコメント
一歩足を前に進めることがどんなに大きなことか

あれこれ迷って何も行動を起こさずにいる状態から
なんとか一歩を踏み出すということは
心のどこかで何かが切り替わり
「よし こうしてみよう」と自分が決めた時です

思えば 出来る
思わなければ 出来ない

ともかく一歩アクションを起こすことが大切ですね
Posted by はーと at 2009年04月05日 21:37
>はーとさんへ

「えいや!」という、たった一呼吸の動作が、あらゆる価値観や未来を変えてしまいますよね。
先日食べず嫌いの娘が、珍しくチャレンジして食べその結果おいしかったと喜んでいる姿を見て、僕はおいしい・おいしくないの結果はどうでもいい、食べてみようと挑戦してくれたことが何よりも嬉しかったです。
乗れない自転車の前で泣き崩れていたのが、乗ってみようと思ってくれたり…成功は、結局はうまくいったということじゃなくて、どれだけ挑戦できたか?というのだと僕は思います。
Posted by ayanpaayanpa at 2009年04月10日 22:56
一歩でなくとも、半歩でもいいんですよね。
世界への扉を閉じないこと、アンテナを引っ込めないこと。
何か少し、いつもと違うことをしてみること。
食事など日常の動きでも、受身じゃなくて、能動的にすること。
たったそれだけで、世界は開けたりするんですよね。
Posted by モニママ at 2009年04月15日 09:11
>モニママさんへ
コメントありがとうございます。
そうですね、能動的な働きかけで世界は拓かれると僕も思います。
雨が降ってきて、雨が止むことを祈ったり嘆いたりすることよりも、雨が降っている今をどう楽しく過ごすのか?を考えた方がきっと素敵なことが起こるような気がします。
もしかしたらあらゆる物事は最初から悪くできていて、それを僕達が生きるという行動によって良くしていくことが人生なのかもしれませんね。
Posted by ayanpaayanpa at 2009年04月17日 21:43
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