2005年12月09日

「気」は揉まず使わず、配るもの

(BY  齋藤一人「ツイてる!」)

種(たね)は一度揉んでしまうと壊れてしまい、もう実をつけることはありません。
「気」というものも同じで“気を揉む”とイライラして良い結果とはなりません。
また、“気を使う”ことも神経をすり減らすことなので疲れてしまいます。

では、どうすればいいのか? それは“気を配る”ことです。
気を“使う”ことと“配る”ことの違いは、自分の為か相手の為かの違いだと思います。
“気を使う”ということは、自分を良く見せようとするあまり無理をして不自然さとストレスを溜めます。神経をすり減らせてしまい利用されるだけになってしまうのです。

“気を配る”ということは、自然体で人に親切にし、押し付けがましさがないので人に良く見られます。相手を自分のことと“同等”に大切にできると、相手も同等に扱ってくれます。
「気」は「手当て」という言葉があるように、体から発せられる気を痛む部分に当てることで癒す力を持っています。

気は使ってしまうと、その時は出来ても次はできなかったりします。
気を配ると、何度同じシチュエーションが来ても同じように物事が良く進みます。
要するに当然であたりまえのことをあたりまえにする「手当て」が“気を配る”という行為になるのです。
すると相手はいつも癒されるような安心感を持って信頼してくれるようになるはずです。

種も、心も、使わず配れば、花が咲くのです。
使い捨ての今の世の中、心も使い捨てにならないように、残していきたいですね。


二伸: ”気を使う”は正しくは気を”遣う”です。
言葉の説明でまぎらわしくなるためにわざと”使う”とさせていただきました。




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