2006年09月05日
本当に大切なものはね、目には見えないんだよ。
(BY サン=テグジュペリ著 『星の王子さま』)
「大人って、とっても変だ。」
「何でも支配したがり、何でも数字で管理したがる。
それに、恥ずかしさを忘れるため酒を飲んだりする。」
「ねえ君、羊の絵を描いてよ」
と言われて、羊の絵が描けない自分がいることに気がつきます。
私は羊を知っている。 でも描けない。
本当に私は“羊”を知っているのでしょうか?
「ねえ君、自分の夢を描いてみてよ」
…描けません。
小さい頃、あれほどワクワクして何でも自由にクレヨンで描きなぐった“らくがき”を、描くことができなくなくなった自分がいます。
花を描こう、でも、花がどんなカタチをしていたか思い出せないから描けない…。
上手に描けないから描かない…、何のために?…誰かに何かを言われるのが嫌だから。
いつのまにか、私は誰にも見られることのない画用紙の上にまで、世間や社会を持ち込んで体裁をよくしようとしているのです。
「大人って、とっても変だ。」
子供のころ、あんな大人にだけはなりたくないと、あんなに思っていたのに、いつのまにかそのつまらない大人になってしまっている自分がいることに愕然とする。そして、できるだけそんな自分を見ないようにして、自分は悪くない、悪いのは世間だ、自分以外の誰かだ…と決めつけ自分を守ることで精一杯になる。
誰それの足を引っ張ったり文句ことを言うこと以外、自分を守る術をしらない…そして独りになる。
とても独り(自分と向き合うこと)が恐い、でも誰も信じることができない。…そうやってどんどん自分を追い込み、何をしてもうまくいかない、自分のあまりの情けなさに思わず全てを消し去りたくなるような衝動にかられます。でも、そんな時にふと思う、“私もかつては子供だった”と…。
本当は、いくらでも自由に絵を描いていいんです。“らくがき”でいい、いや“らくがき”こそがいい、自分の思うまま、感じるままに、自分を表現する(創り出す)ことが必要なのです。外面に仮面を被っても、内面にまで仮面を被る必要はないのです。
見たものを写実的に技巧を凝らしうまく見せなければならないと思うことは、実は“退化”した大人の考え方なのです。何故なら、いわれるがまま、見たままにこなすならコンピュータと同じ…まだコンピュータの方が“正確”に絵を描きます。
本当に大切なもの…私達は目には見えない自分の内面に、“いつかの少年”を抱いているのではないでしょうか? そしてそれは、大人になればなるほど喪失されていくか、未熟で恥かしいと思う過去として残る。自分を生きにくくしているものの正体、それは世間でも世の中でも地位や財でも誰でもなく、つまらない大人になってしまった“自分自身”です。だから、自分が住み辛い世の中を作ってしまっている事実を知ってしまえばいいのです。
そのために必要なことは、「自分を守らない」ことです。
「自分を大切にしている」と思っているものは、実は「見栄」や「世間体」だったりするからです。
子供はそんなものは大切にしていません。私達の持つ純粋さや創造性は、いつでも自分の
”いやったらしさ”や”卑屈さ”や破壊性の向こう側にあります。
そんな自分と真正面から向き合い対決し、打ち破ったその先にあるものこそ、「目には見えない大切なもの」ではないでしょうか? それは常識や世間から自分がはみ出ることではありません。
自己の中に“常識や世間”があるという感覚を持つことなのだと思います。
さぁ、あなたなりの“羊”の絵を描いてみてください。
参:でたらめにやってごらん、きっとでたらめにできないから。 岡本太郎
「大人って、とっても変だ。」
「何でも支配したがり、何でも数字で管理したがる。
それに、恥ずかしさを忘れるため酒を飲んだりする。」
「ねえ君、羊の絵を描いてよ」
と言われて、羊の絵が描けない自分がいることに気がつきます。
私は羊を知っている。 でも描けない。
本当に私は“羊”を知っているのでしょうか?
「ねえ君、自分の夢を描いてみてよ」
…描けません。
小さい頃、あれほどワクワクして何でも自由にクレヨンで描きなぐった“らくがき”を、描くことができなくなくなった自分がいます。
花を描こう、でも、花がどんなカタチをしていたか思い出せないから描けない…。
上手に描けないから描かない…、何のために?…誰かに何かを言われるのが嫌だから。
いつのまにか、私は誰にも見られることのない画用紙の上にまで、世間や社会を持ち込んで体裁をよくしようとしているのです。
「大人って、とっても変だ。」
子供のころ、あんな大人にだけはなりたくないと、あんなに思っていたのに、いつのまにかそのつまらない大人になってしまっている自分がいることに愕然とする。そして、できるだけそんな自分を見ないようにして、自分は悪くない、悪いのは世間だ、自分以外の誰かだ…と決めつけ自分を守ることで精一杯になる。
誰それの足を引っ張ったり文句ことを言うこと以外、自分を守る術をしらない…そして独りになる。
とても独り(自分と向き合うこと)が恐い、でも誰も信じることができない。…そうやってどんどん自分を追い込み、何をしてもうまくいかない、自分のあまりの情けなさに思わず全てを消し去りたくなるような衝動にかられます。でも、そんな時にふと思う、“私もかつては子供だった”と…。
本当は、いくらでも自由に絵を描いていいんです。“らくがき”でいい、いや“らくがき”こそがいい、自分の思うまま、感じるままに、自分を表現する(創り出す)ことが必要なのです。外面に仮面を被っても、内面にまで仮面を被る必要はないのです。
見たものを写実的に技巧を凝らしうまく見せなければならないと思うことは、実は“退化”した大人の考え方なのです。何故なら、いわれるがまま、見たままにこなすならコンピュータと同じ…まだコンピュータの方が“正確”に絵を描きます。
本当に大切なもの…私達は目には見えない自分の内面に、“いつかの少年”を抱いているのではないでしょうか? そしてそれは、大人になればなるほど喪失されていくか、未熟で恥かしいと思う過去として残る。自分を生きにくくしているものの正体、それは世間でも世の中でも地位や財でも誰でもなく、つまらない大人になってしまった“自分自身”です。だから、自分が住み辛い世の中を作ってしまっている事実を知ってしまえばいいのです。
そのために必要なことは、「自分を守らない」ことです。
「自分を大切にしている」と思っているものは、実は「見栄」や「世間体」だったりするからです。
子供はそんなものは大切にしていません。私達の持つ純粋さや創造性は、いつでも自分の
”いやったらしさ”や”卑屈さ”や破壊性の向こう側にあります。
そんな自分と真正面から向き合い対決し、打ち破ったその先にあるものこそ、「目には見えない大切なもの」ではないでしょうか? それは常識や世間から自分がはみ出ることではありません。
自己の中に“常識や世間”があるという感覚を持つことなのだと思います。
さぁ、あなたなりの“羊”の絵を描いてみてください。
参:でたらめにやってごらん、きっとでたらめにできないから。 岡本太郎
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Posted by ayanpa at 18:24│Comments(10)
│人生のヒント
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“一番大切なコトは目に見えない”
本を読む前に
星の王子さまミュージアム
に行った私。
いつか読もう読もうと思っているうちに、
ようやく文庫本を発見。
買っちゃえ!!
...
星の王子さま【くだらないことに愛を込めて・・・blog】at 2006年09月05日 22:19
この記事へのコメント
小さい頃は 絵が好きで、暇さえあれば描いていた。
空想の世界に行けて楽しかった。
それが小学生になってから、どう評価されるか気にするようになって、
絵を描くことが窮屈になったのを覚えています。
空想の世界に行けて楽しかった。
それが小学生になってから、どう評価されるか気にするようになって、
絵を描くことが窮屈になったのを覚えています。
Posted by 空凛 at 2006年09月06日 13:11
自分を閉じ込めているのは自分なんですね 開放するのも すべて 幼子のようになりたい!
Posted by アオパン at 2006年09月09日 21:45
子供に教えられることって本当に多いですね。
「筆を折る」という言葉がありますが、娘の引いた一本の自由曲線に驚愕したことがあります。
計算のない自由でダイナミックなたった一本の線に、僕は自分の屁理屈さを打ちのめされました…。
「筆を折る」という言葉がありますが、娘の引いた一本の自由曲線に驚愕したことがあります。
計算のない自由でダイナミックなたった一本の線に、僕は自分の屁理屈さを打ちのめされました…。
Posted by ayanpa at 2006年09月09日 22:02
>アオパンさんへ
大人になってしまうと、守らなければならないものが多くなってつい、がんじがらめに自分をかためてしまいがちですね。
もちろん子供の思う自由とおとなの思う自由は違うとは思いますが、僕もできるだけ素直に自分を表現できればと思っています。
大人になってしまうと、守らなければならないものが多くなってつい、がんじがらめに自分をかためてしまいがちですね。
もちろん子供の思う自由とおとなの思う自由は違うとは思いますが、僕もできるだけ素直に自分を表現できればと思っています。
Posted by ayanpa at 2006年09月09日 22:06
はじめまして。
このサイトの言葉をみてはじめて自分と向き合うことができました。
もっと自分のことをよく知りたい
もっと自分を成長させたい
これからもこのサイトの言葉をみて自分と向き合って行きます
このサイトの言葉をみてはじめて自分と向き合うことができました。
もっと自分のことをよく知りたい
もっと自分を成長させたい
これからもこのサイトの言葉をみて自分と向き合って行きます
Posted by m at 2006年09月10日 12:14
はじめましてmさん、コメントありがとうございました。
自分と向き合うことは、きっと海の底に潜り込むような恐怖がありますね。
でも、海底にはきっと沈没船があって、宝物が眠っていると信じています。
それだけじゃなくて、本とか旅行とか、人との会話とか趣味とかスポーツとか…とにかく色々な体験が自分自身を気付かせてくれると思います。
僕の一方的な見解に疑問もあるかと思いますが、寛大な目を持ってよろしくお願いいたします。
自分と向き合うことは、きっと海の底に潜り込むような恐怖がありますね。
でも、海底にはきっと沈没船があって、宝物が眠っていると信じています。
それだけじゃなくて、本とか旅行とか、人との会話とか趣味とかスポーツとか…とにかく色々な体験が自分自身を気付かせてくれると思います。
僕の一方的な見解に疑問もあるかと思いますが、寛大な目を持ってよろしくお願いいたします。
Posted by ayanpa at 2006年09月10日 22:12
はじめまして。れんといいます。
何度か拝見しているのですが、初めてコメントします。
いつもとても内容が充実していて読み応えがあり楽しみにしています。
私も子供のようになれないかなって。考えたことがあります。
でも、子供には子供の楽しさがあるように大人には大人の楽しさというのがあるんだと私は気づいたんです。
小さな頃にはたった一枚の画用紙だったけれども、今では世界中が画用紙です。
ピカソの絵を知っていますか?
あなたの文章を読んでピカソの絵を思い出しました。
何度か拝見しているのですが、初めてコメントします。
いつもとても内容が充実していて読み応えがあり楽しみにしています。
私も子供のようになれないかなって。考えたことがあります。
でも、子供には子供の楽しさがあるように大人には大人の楽しさというのがあるんだと私は気づいたんです。
小さな頃にはたった一枚の画用紙だったけれども、今では世界中が画用紙です。
ピカソの絵を知っていますか?
あなたの文章を読んでピカソの絵を思い出しました。
Posted by れん at 2006年09月11日 07:57
はじめまして、れんさん。
>小さな頃にはたった一枚の画用紙だったけれども、今では世界中が画用紙です。
いい言葉ですね。感動しました。
大人としての生き方も必要だと実感いたしました。
僕はピカソにそれほど造詣があるのではないのですが、確かに抽象的なものがその人によってものすごく具体性のある答えになる場合がありますね。
二次元の世界に三次元を表現する…ゲルニカなど本物を見たことがないので本当にどれだけすごいものなのか観てみたいですね。
できるだけ僕も純粋な「大人のらくがき」を描いていこうと思っています。
>小さな頃にはたった一枚の画用紙だったけれども、今では世界中が画用紙です。
いい言葉ですね。感動しました。
大人としての生き方も必要だと実感いたしました。
僕はピカソにそれほど造詣があるのではないのですが、確かに抽象的なものがその人によってものすごく具体性のある答えになる場合がありますね。
二次元の世界に三次元を表現する…ゲルニカなど本物を見たことがないので本当にどれだけすごいものなのか観てみたいですね。
できるだけ僕も純粋な「大人のらくがき」を描いていこうと思っています。
Posted by ayanpa at 2006年09月11日 21:18
はじめまして!こんにちは!私はまだ学生なのですが、なんとなく「大人」という事が分かったような気がしました。読んでいてとても素晴らしかったです!私もその綺麗な心を持って大人になりたいと思います!!本当に人として考えさせられる事がいっぱいありますよね…。そしてこの文章もその中の一つですね!世の中には気づきにくい物がいっぱいありますよねー。奥が深いなぁー…。でも本当にありがとうございました!この文章のおかげで大人になるっていろんな意味で深いんだな~と思いました。ありがとうございました!みずらくってすみませんでした‥。
Posted by サクランボ at 2010年01月30日 22:20
サクランボさんへ
向上心って山を登っていくような感覚で、自分を見つめることは海深く潜っていく感覚があると僕は感じています。
全く反対のことをしていたとしても、目指しているものはいつも同じものになるこの不思議な体験を重ねていくと、ふと自分は一人じゃないと思えてきます。
自分の中にある汚らしさやいやったらしさを捨て去ることが大人になるということじゃなくて、それを受け入れてそれも自分なんだと”浄化”させることが大人になっていくということなのかもしれません。
サクランボさんにとっての大人はサクランボさんの思うものでいいんだと思うのです。
どんな自分も自分なんだと、嫌な自分を否定せずその向こう側に見えるものを探すこと…、僕が知りたいことは、まだ知らない自分です。
コメントありがとうございました。
向上心って山を登っていくような感覚で、自分を見つめることは海深く潜っていく感覚があると僕は感じています。
全く反対のことをしていたとしても、目指しているものはいつも同じものになるこの不思議な体験を重ねていくと、ふと自分は一人じゃないと思えてきます。
自分の中にある汚らしさやいやったらしさを捨て去ることが大人になるということじゃなくて、それを受け入れてそれも自分なんだと”浄化”させることが大人になっていくということなのかもしれません。
サクランボさんにとっての大人はサクランボさんの思うものでいいんだと思うのです。
どんな自分も自分なんだと、嫌な自分を否定せずその向こう側に見えるものを探すこと…、僕が知りたいことは、まだ知らない自分です。
コメントありがとうございました。
Posted by ayanpa
at 2010年02月05日 20:23

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