2008年05月18日

人生とは自分の「実験室」 

迫ってくる運命のようなもの、それは自分の創りだした自分自身だという。
“運命に従う”と聞けば運命論者になるけれど、本当は“自分に従っている”ということ。
だから、僕たちの毎日は自分の“実験”として、うまくいってもいかなくても関係のない、あらゆる可能性を試した結果です。

何をしても、何もしなくても、その“実験”は死ぬまで続いて、死んだ後は残された者に引き継がれていく・・・。希望も目的もわからないままに生まれてきたとしても、どうせなら楽しく生きたい。やりたいことをやりたいだけやる、たったその「やりたいこと」が何なのか、それを見つけようとすることも「やりたいこと」なのだと思う。

見つからないから苦しい、どうしたいかがわからないから苦しい、でも本当に苦しいのは自分を誤魔化して恰好良く見せようとする心です。
生活できるだけの経済力、生命の危険のない安心があれば死ぬまで穏やかに暮らせるはずだ、でもそうじゃないから…それだけじゃないから苦しい。

誰もが知りたがっている、誰もが出したがっている、自分が生きている“しるし”のようなもの、自分の存在の必然性のようなものを。だから僕達は泣き、怒り、笑い、悲しみ喜ぶのです…自分を“実験”しながら。

もうだめだとそれ以上前に進めない時も、その場から逃げ出したいと思う時もある。
でも、それも自分自身を創っている。 慣れない環境には、成長の鍵がある。
何故なら障害の大きさ、制約の多さは、自分が自由であることを証明してくれるから…

もし、何の障害も制約も嘘もない世の中を与えられたとしたら、何が自由で、何が本当のことなのかわからなくなってしまう。今多いに悩んで沈み込み、壁に閉ざされた狭い所に閉じこもってしまっているのならば、そこに自分の自由さを創りだせるチャンスに恵まれているということ。
だって「健康になった」という言葉の前には必ず「病気だった」という前提があるし、「幸運」の前提には「不幸」が必ずあるから。 生きることは死ぬことが前提になっている。
逆に、死にたいと思うのならば、まず「生きた」という前提を創りあげなければならない。 

「死にたい」と誰かに言えば「やめろ」と言ってくれるけれど、「生きたい」と言っても「それで?」となってしまう。だから「生きたい」とき、「死にたい」と叫ぶしかないのだ。死んだように生きることほど、辛いことはない。・・・どうせなら、“死ぬほど”生きたい。

行き詰って行く自分がいるからこそ拓(ひら)ける…そこに本当に自分のやりたいことがあるはずです…息を止めてみれば、呼吸がしたくなるように。
僕たちの目の前に広がる可能性の海からコップ一杯の“生き甲斐”を掬い上げる・・・
僕たちは、生きるという「実験」によって自分を救い上げていけるようです。

参:
「創発は危機によって生まれる」
芸術は爆発だ!
「孤独とは社会的広がりのある生き方だ」



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人生とは自分の「実験室」

自分で自分を実験ならば楽しく嬉しく気楽な毎日
これをどう実行するかに私...
実験です【Eating disorder 】at 2008年05月18日 18:30
この記事へのコメント
確かに自分は実験台かな?と思えます・・・・
でもさて誰の実験でしょうか?

自分が自分で実験してるならもっと楽な方へ導いてくれるでしょうから多分違うと思う私でございます。となとその実験をしているのは誰だ??
悩むだけムダでしょうか?
Posted by アシュラン at 2008年05月18日 18:11
アシュランさんへ

コメントありがとうございます。
そうですね、楽である方がいいですね、でも、そうじゃないから…それだけじゃないから「自分でジブンを”実験”」するのだと僕は思います。
世の中に無駄がなければ、必要なものが何かわからないように、自分を実験しなければ、何が自分かわからない。
多分、それが「悩む」というものかもしれません。
ラクで愉しい…それが一番難しそうですね。
Posted by ayanpaayanpa at 2008年05月18日 19:14
早速のお返事(コメント)ありがとうございます、生きることについて悩み苦しむ人が増えている時代ですよね。
うつ病やパニックやら病名がいろいろつけられ本当に悩む人には少しは世間からよく見られるというか理解してもらえるようになってきたと思います、でもこんな精神的病気の人はだいたいこの悩みを持っていると共感してトラバさせていただいた次第です。

これからもその他更新楽しみに・・・というか参考にさせていただきます。
Posted by アシュラン at 2008年05月19日 08:05
アシュランさんへ

エンゲル係数(家計における食費の比率)が50%以上だった時代、一生懸命働いてお金を稼いでテレビ・冷蔵庫・洗濯機…と生きる理由・働く目的が明確であった時代にくらべ、現代はあまりに生き甲斐や働く目的が見つけにくい。
昔は(年寄りの様ですが)闘う相手がいっぱいいたけれど、今僕たちはいったい何と闘えばいいかわからなくなってしまっていると感じています。
精神時代という言葉がありますが、ファッションと同じく心の在り方にも流行のような傾向があると思います。
現代のうつやパニック、脅迫神経症など、もはや病気ではなく時代の主流となっているのではないでしょうか?
何十年後かに「心の時代」だったと語れるよう、その”目に見えない敵”と精一杯闘っていきたいと思います。
ぜひぜひまた遊びにきてください、ありがとうございます!
Posted by ayanpaayanpa at 2008年05月19日 16:32
はじめましてこんにちわ。

今日はじめてこちらに飛んできました。
拝見させていただいて、何だか少し心が軽くなりました。
最近・・・というか昔から自分は価値の無い人間だとずっと思ってきました。
その反動と言うかその分人に対してものすごく攻撃的なところがあり、トラブルもたえません。
そのたび深く自己嫌悪にハマります。
自分はどうしようもない人間なのだとずっと考えていました。
色んな思いで特にここ何年かは押しつぶされそうでした。

30何年もそうだったのですから簡単に切り替われると思えません。
ですが、この苦しい気持ちからの出口が少し見えそうな気がしてきました。

本当に「心に効く言葉」です。
今日ここに来れて良かったと思ったのでコメントに書かせていただきました。
また読みに来させていただきます。
Posted by にゃおす at 2008年05月21日 15:53
>にゃおすさんへ

最高にうれしい言葉を本当にありがとうございます。
自分が伝えたいことを言ってもらえることほどうれしいことはありません。

僕の思うににゃおすさんはその「価値の無い人間」じゃないように思います。
多分、その攻撃性は「自分の中にある何か価値があるものを守ろう」としているからじゃないでしょうか?
価値がなければ守る必要がない、故に攻撃的になる必要もない。
処世術など世渡りの手順を覚えたからといって良い人生が送れるというわけでもない。
じゃあ、何が自分をどうしようもなくしてしまっているのか?
それは、どこかに価値のある自分や人生が”今の自分以外のところ”にあると思い込もうとしているからかもしれません。
どこかに「ある」と思うのではなく、どこにも「ない」ということを忘れる…禅問答みたいですが、それが「自分を認める」という行為につながるような気がします。
「心に効く言葉」、そのコンセプトを守り続けていけるようこれからも努力していきます。
是非また来てください。重ねてありがとうございました。
Posted by ayanpaayanpa at 2008年05月21日 18:21
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