2009年03月07日

「自分の今持っているもので勝負する」 柳家小三治

背伸びをしない生き方。
自分の能力を乗り越えるために、自分以上の何かに挑戦することは必要なことだと思う
でも、その努力が自分の中や上ではなく、自分以外の所に向けられてしまうことが多い。

例えば、世間体や見栄だったり、給料や将来の保証だったりすると、それは努力というものよりは「体裁」という言葉の方がぴったり合ってしまう。
博打で言えば、自分の持ち金以上の勝負をしてしまうように、明らかに自分で責任が負えないのにも拘わらず「勝負師」としての体裁を整えようと無理をしてしまうのです。

勝負に負けたときに言い訳をしない…それは自分に“投資”したことに対する結果であるからできることで、自分以外のところに“投機”したことには後悔しか残らない。
世の中には絶対負けるとわかっていたとしても、闘わなければならない時もあるし、逆に勝てるにもかかわらずあえて負けなければならない時もある。その中で平常心を保ちながら「己に克つ」ことを自分に課すことは困難なことだけれども、それが出来た時には結果はどうであれ、ジンとした何かしらの力が自分に宿ることがあります。

じゃあ、背伸びも無理もしないやり方でどうやって「自分に克つ」「自分を超える」ことができるのだろう?
それは体調が悪いときでも、気持ちが沈んでしまっているときでも、何かの原因があって良い結果が出せない状況であっても、それを自分のベストだとしてチャレンジすることです。そのためには「かつて」とか「以前は」とか「本当は」とか“こうなるはず”という自分を全て取り払ってしまうことが必要。

一度成功体験を持つと自分に自信が付いて、今まで出来なかったことが出来るようになりますが、違う状況にもそれを自分の”基準“として考えてしまうとそれ以下は許せなくなります。 うまくいったことが、その後をうまくいかなくしてしまうこともある。
イメージトレーニングなどで自分が勝利した姿を思い浮かべてそうなるように実行することはとても大切なことだと思う。でも“今の自分”を無視した勝ちパターンをいくら想定しても、それは目標にも手段にもならない、ただの無謀となってしまいます。
大切なことは「己を知り、敵を知る」というその瞬間瞬間に変化してしまうものを捉えることができるかどうか?に懸かっているのではないでしょうか。

<笑わせるんじゃない、思わず笑ってしまうもの、それが芸だ>

僕もついウケようとして目立つことを考えたり、これはすごいんだよと妙に説得しようとしたり自分じゃないもので勝負しようとしてしまいます。きっと「一流」と呼べる人達は“今の自分”だけで勝負できる人のことを言うのでしょう。
何も面白くしようとしない、何も脚色しない、ただそこにある物事を淡々とあるべき姿にしていくこと。
どこにも派手さがないのにそこに輝きがあるのは、その素材がそのまま活かされたから。

認められたい…でもそれは、認めてもらうことでも認めさせることでもない、つい他人が認めてしまうもの…それが“自分の実力”なのだと思うのです。
だから、実力のある人は他ごとに気に取られずに好きなことに夢中になれる。負けてもいいし、失敗してもいい、ヘタでもいいし、認められなくてもいい。今の自分、今の実力、今の気持ちだからこそできることがある。

もし、「これがしたい」「こんな自分にでも何かできることがあるかもしれない。」 そう思えることができたとき、初めて自分の持っているものに気付いて勝負できるのだと思いませんか。

参: 「自由になれば、そこから何かが見つかるんだ」



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