2005年10月12日

“ありがとう”を言う責任はあるが、言ってもらう権利はない

世の中は“ギブ・アンド・テイク”だと思います。
しかし、簡単にそんな関係にはなりにくいのも事実です。

何故なら、人は自分の行った行為に対する“妥当な評価”を得たいと思うからです。
この“妥当な評価”というものがクセモノで、“妥当”という尺度は人によって違い、大抵は「たったこれだけ?」と不満を募らすことがほとんどだと思います。

私は人に“認めてもらいたい”“感謝されたい”という心を持って行動しています。
それは私の喜びであり、自己の成長に繋がると思うからです。

しかし、当然のことながらそれはエゴでもあります。自己顕示性による「これだけやってあげたのだから感謝されて当然」という高慢な部分をどうしても拭い去ることはできません。それだけに評価が低かったりすると「感謝が足りない」とひとり腹を立ててつまらない人間に成り下がっていることも事実です。

そんな愚痴を妻や友人にこぼすと、決まって「それなら最初からやらなければよかったじゃないか」と叱られます。確かにそうです。しかし、私は“何もできない奴”と評価されるのも恐かったのです。

もうその時点で動機が不純なのですが、自分の望む評価を与えられる“権利”を持っていると勘違いしていると間違いなく人間関係を壊します。また、逆に何かをしてもらった時に感謝や評価をしなくても同じく人間関係を壊します。

ではどうすればいいのか?

何かを誰かにしてあげれた自分を自分で評価してあげればいいのです。
何かを誰かにしてもらったことを評価することを忘れなければいいのです。

宗教に入ってさとりを啓くわけでもなければ、自己満足で十分です。自分が役にたったことを誇りに思い行動できれば、感謝されないはずがないのですから…。




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Posted by ayanpa at 00:00│Comments(0)感謝の言葉
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