2006年02月18日

真の価値を計る計量器

市場とは、短期的には人気投票の場にほかなりません。 しかし長期的には、企業の真の価値を測る計量器の役目を果たしてくれるのです。
(BY ウォーレン・バフェット)

私はこの言葉を「人生とは、短期的には良いか悪いかだけの場にほかなりません。 しかし長期的にはその人の真の価値を測る計量器の役目を果たしてくれるのです。 」と解釈しています。

一生懸命に何かをやっても報われない人、逆に今が楽しくなければならないと悦楽にふける人。
アリとキリギリスではありませんが、人生を短期的にみるか長期的に見るかで、その生き方が大きく変わってしまうようです。

人は何かに投資しようとしたとき、将来になるべき“価値”を知ろうとするはずです。
そしてその“価値”に見合う何らかのアクションを起こします。
しかし現実は今の“価格”…つまりお買い得感で買う、人気があるから買うのです。

これを自分自身に当てはめた場合考えることは、
自分が成るべき理想をちゃんと持って、それに見合う生き方をしているのだろうか?
今自分が楽しめるためだけの安易な行動をとってはいいないだろうか? です。

誰もが良いものをお値打ちに買いたいと望みます。しかし、それが出来る人はその“価値”を知っている人しかできないですし、その前に一部の特権階級の人達が先にそれを取ってしまっている現実があります。

そして私は2000円となっていると高いと思い、1980円となっていると安いとお得な気分になったことで満足し、安いものを安く買うことだけに終始し、そのもの自体がその価値に見合うかどうかを度外視してしまうのです。だから、大切なことは、自分という人間を長期的に見て価値を見出すことです。

今現在の自分だけを見れば、高くもなく安くもなく、“タダ”の自分がいるだけです。
それだけに、自分がわからず、今の調子が悪いだけでその価値を低くみてしまいます。
測りしれない自分の人生だからこそ、その価値を上げるために何ができるのだろうか?と考えることが、人生における“投資”なのではないでしょうか?

参考: 「貧乏人は“価格”を見て、金持ちは“価値”をみる、故に金持ちは貧乏人からすれば“ケチ”に見える。」「貧乏人は負債を買い、金持ちは資産を買う」 ロバート・キヨサキ



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真実は嘘をつく
真実は嘘をつく(2009-10-21 07:54)


この記事へのコメント
はじめまして、私 ko-sa といいます。
最近、ホームページを個人的に制作しようと思い立ちまして
ayanpaのデザインうんちく からこのブログまで毎日興味
深く拝見させていただいておりました。

つい最近、友達からネットワークビジネスへの勧誘をうけました。
それがネズミ講かどうかとかはどうでもいいんですが、その
ビジネスによって多額の収入を得ている、少数の知り合いの
話を聞いても自分のなかでまったく奮い立つモノがありません。
昔からきれいごとばかりで現実は生きてはいけないと言われる
のですが、例えば「世の中金じゃない!!」とかきれいごとばか
りをぬかして生きてきました。けれど実際の私は現実の厳しさ
から逃げるように誰しもと同じように平凡にも生きてきました。
いわゆる卑怯者って奴です。
ここらで自分の理想、きれいごと的な生き方が本当に現実(社会)
と折り合いがつかないのか、その時の自分を相対的に総合的に見
た場合でも自分が幸せだと思えるのか試してみたいと思いました。

その上であやんぱさんのサイトはとても参考になる部分がたくさん
あります。
またいろいろと質問とかさせていただいてもよろしいですか??
また機会があれば書き込みさせていただきます。
淀川のそばより応援しています。
Posted by ko-sa at 2006年02月20日 00:10
ko-saさんこんばんは。
うんちくの方も読んでいただいて本当にありがとうございます。
「世の中金じゃない」の私の解釈は、
「世の中のほとんどの”モノ”は金で買える、でも、それだけじゃない」です。
私は、それを「儲け(信頼する者)」だと思っています。
信頼を築いた人だけが、世の中の金だけじゃないものを掴みとっていくのではないかな?と思うのです。
ko-saさんのおっしゃる、卑怯者だとか、平凡さとかいうものは、折り合いがつくつかないの問題ではなく、自分のことを卑怯だと思うから、平凡だと思うから”こそ”理想に対して何をすべきかなのではないでしょうか?
ですから、逆に後悔しても、平気になってそんな自分ととことん付き合ってみても面白いと思います。
偉そうなことを書いて申し訳ありません。
こんな私でよければ、独断と偏見でお答えいたします。
では、電柱の影でお待ちしております。
Posted by ayanpa at 2006年02月20日 00:57
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