2007年08月14日

「夢」ってのは“恋人”のようなものだ

<人生ってのは、人が生きるためのものだろう。
人が生きるためには愛情ってやつが必要なんだ。
だから、愛情に手間をかければかけるほど人生は膨らんでくるんだ。
手っ取り早い愛情もなければ、手っ取り早い人生もない。
そんな単純なことを手っ取り早くしようとするから人生は余計にややこしくなる。>



どうなるかわからない、だからとことんひたむきになれます。
もし、恋愛が結果ありきであるのなら、きっと誰も恋に魅力を感じなくなってしまうでしょう。
恋をすると人は周囲の声が届かないくらいに心は躍り、幸運は全て自分の味方になってくれるような気になる。でもそこに、愛情という土台がないのに何かを積み上げていっても、その積み上げたものの重みのせいで崩れてしまうのです。

その土台を作るのはとてもたいへんに思えて、何も積み上げられない自分に焦りを感じ見切り発車で形だけでも見栄えが良くなるようにしてしまい、最後にどうにもならなくしてしまうことがあります。愛情はお金や知識のように目に見える実用性がないから、量も質も誰かと比べて良いとか悪いとか言えるものじゃない。どちらかというと面倒であったり退屈なことであったり、また辛いことだったりするから、してもらいたいとは思ってもすることはなかなか難しい。恋には好奇心が必要で、愛には更に勇気が必要になってくる。

「これだけのことをしたんだから…」とギャンブルのように賭け金をあげたとしても、なかなかそれに見合う成果は現れません。
そこで誰かに答えを求めれば「無償の愛」と言う…でもそれはただの絵空事にしか聞こえなくなります。そうやって愛情に結果をすぐ求めてしまうけれど、“結果”はモノや数字に求めるもので、人や心には“経過”で求めるべきだと思うのです。

僕達は失恋を恐れて「恋なんかしない」とネス湖の底より深いため息まじりの嘘をつく。
失うことが恐いから、失うことがないように得ることを放棄する。 つまり、何も積みあがらない。
それを“安心”と呼べるのならば、僕達は幸福になることを否定しなければならない。
夢は、失っていけば失っていくほどに積み上がるという矛盾を抱えたまま僕達は生きています。

もしそこに愛情がなかったとしたら、失うことを通り過ぎて“損なわれ”続けてしまうのではないでしょうか? 僕達は喪失することはあっても、欠落するようなことがあってはならないと思います。夢は恋人のように気分屋で時に裏切りますが、愛情という土台があれば、失ってもまたその上に知らないうちに積みあがっていくもののようです。





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