2006年07月27日

国が何をしてくれるかではなく、自分が国に何ができるかを…

(J.F.ケネディ)

「国が何をしてくれるかではなく、自分が国に何ができるかを考えなさい」
私がこの言葉を知ったときに感じたことはこうでした。
「相手が自分をどう幸せにしてくれるかではなく、自分が相手をどう幸せにできるかを考えなさい」
愛国心しかり、最近の親子関係、夫婦関係、友情、そして理想の相手が見つからないと結婚しない人にも深く関係が絡んでくるような気がするのです。

「愛」という言葉は、あまりにも漠然とし過ぎて、ただその言葉を使えばすばらしいことなんだというご都合主義にうまく利用される場合が多く、その言葉の“重さ”が伝わりにくいのです。
「愛」には“無条件”“無償”や“自己犠牲”の意味合いも深く入っており、「愛国心」という言葉の中には、かつての帝国主義的な“絶対服従”の意味があると反発も起こるのです。
国を愛する心とは、国を信じ、国の命令には従い、国のために尽くすことだ…と…。
富国強兵のもと「お国のためなら命はいらない」「ほしがりません、勝つまでは」と…そして60年前、多くの犠牲とともにその言葉は“封印”されてきたのです。

そして、今まで財政・行政・司法の何が自分達を幸せにしてきたというのかと、疑問を持たざるを得ない社会のムードが漂っています。
年金の使い込み、天下りや談合、マネーゲームや偽装問題、ゆとり教育による学力低下、医療負担や税金負担、猟奇犯罪の増加、金持ちに有利な判決と蛇足、男女共同参画…。日本には良いところなど一つもないように報道し、それ故に未来に希望を持つな!と、メディアやフェミニスト達が国民に仕向けているような気さえするのです。
だから、将来のビジョンがまったく見えないこの国の、いったいどこを愛せばよいのか、いったい国がこれから私達に何をしてくれるのか?と思わざるを得ないのは当たり前です。
それは、今の家族・夫婦・恋人の関係を当てはめでも、同じようなものではないでしょうか?

しかし、大切なこととはこの言葉のように、“自分に何ができるか?”だと思うのです。
残念ながら、人はまったく同じ待遇を受けて生きることはできません。何の不自由もない家庭で生まれる人もいれば、様々な差別やハンディキャップを背負って、ずっと苦しむ人もいます。

でも、人間として価値のある生き方は、環境や待遇に左右されない“絶対的”なものだと思います。
だから、こんなサービスをしてくれるなら、愛してくれるなら、国を愛すべきとか、愛してやろう、とか義務的・条件的に考えるのではなく、自分が愛される国にしていこうと考え、自分の今生きている場所を良くしていく無条件な行動が必要なのだと思うのです。だからといって、国を愛しているから、何をしても無罪などと言うのも間違いですが…。

戦争が起これば海外へ逃げると言う若者が全体の70%以上あるこの国、逃げる前に、戦争が起こる前に清き一票を投ぜずに、不満だけをこぼすのはフェアではないと思うのです。
つまり、自分が精一杯生きて社会に働きかけていくことこそが“愛国心”だと私は思うのです。
だから、愛国心は国のためでなく、自分のためなのです。

パートナーに対しても同じ、愛情を求めていてはダメです。
「価値観が合う・合わない」仲とは、互いの理念や将来の理想ということではなくて、何を損得とするかという感情的次元の話で、「幸福にしてほしい」と要求することは相手を自分の快感の道具にしてしまう危険性があります。
自分から人を、パートナーを、親を、そして国を世界を愛さなければ、愛されることは絶対にないのです。国旗国歌法しかり、 “愛国心”という言葉を持ち出さなければならないほど今の日本はそれだけ“ひっ迫”しているということです。

飽食の時代、使い捨ての時代、親子で殺し合う時代、隣近所に誰が住みどんな生活をしているのかを知らない…故郷に対する愛着心や人間としての信頼感が薄くなっている証拠だと思うのです。
「家」という概念、「国家」という概念がなくなり、大家族制も、村落共同体もなくなりつつある日本。
人を愛する、家族を愛する、故郷を愛する、国を愛する…。
決して利用されたり、強要されてはいけないことですが、私達は愛情を求めるだけで、人を愛せない、国を愛せない…そして自分を愛せない人間にはなってはいけないのだと思います。

P.S. スキヤキ・ソング(上を向いて歩こう:坂本九)の方が有名ですが、小学校の時によく歌った「故郷(ふるさと)」が海外にとても人気があります。音が澄んでいて心が洗われるかのようだと。

<自分の土地に流れる水、おのれの上に吹きわたる風の気配、それを自分の存在のアカシとして出発しない限り、いかなる文化もありはしない。 岡本太郎>

私達は日本という殻に閉じこもって日本が見えていないのかもしれませんね。

参: 自分の望まぬ状況に陥った時の選択肢は、その状況に順応するか、自分にとって快適な状況に変えるかだ。 本宮ひろ志 「ドン」
君が愛にしがみつくより、まずは君が強くなれ 長渕剛 「Hold your last chance」



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この記事へのコメント
「幸せにしてね」なんてセリフをTVで耳にすると、
何アホなこと言ってるんだと思いますね。

幸せは自分で見つけるもの。
状況は自分で変えるもの。(状況をどう受け止めるか)

そう自分に言い聞かせてます。
Posted by 空凛 at 2006年07月30日 13:53
幸せは”なる”ものではなくて、”する”もの。
私も同感です。
でも、私は「幸せにしてね」を願望として持っていてもいいし、言ってもいいと思います。
ただ、それを言った方も言われた方もまに受けて「そうでなければならない」と二人の関係を条件的に縛り付けることがいけないことだと思うのです。
少しでも思ったことと現実が違えば、不満にしかならないのですから…。
Posted by ayanpa at 2006年07月30日 20:58
その節はお世話になりました!
なんとも刺激的な旅でしたー

利己主義ではないけど、まずは自分が幸せでいたいと思います。
どんな形でもいいから、「あぁ幸せだなぁ~」なんて感じる余裕がないと、他の人にだって優しくできないもの・・・
って、私はいつでも幸せのような気もしますが。(笑)

旅では、いろんな国の人と会い、いろんな国のことを知りました。
なんだか、『知る』ことって大切だなぁ~と改めて実感です。
Posted by レイ at 2006年08月06日 12:31
レイさんおかえりなさい!
刺激的とは…なんとも羨ましいです。

「知る」は「行う」の前提ですよね。
優しさや幸せを「知る」ことはそれを「行う」ということだと私も思います。
「幸」は「辛」に「一」を足すもの。
「優」は「人」が「憂(うれ)う」もの…。
つまり、誰よりも「思い悩んで辛さを克服する人」になるということですね…、なかなか私には難しそうです(汗)。
Posted by ayanpa at 2006年08月07日 22:20
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