2008年08月05日

「寂しい」=「愛情」

『帰る場所があるのに、愛されているのがちゃんとわかっているのに、寂しい・・・、それが“若さ”だ。』 BY 吉本ばなな

はっきりとした言葉で、ちゃんと見えるカタチで、自分の存在を認めて欲しいと思う時があります。
子供のときただなんとなく寂しくても、親の首根っ子をしっかりと抱きしめれば、無条件でポンポンと背中を叩いて「大丈夫だよ。」と安心させてくれていたかもしれない、でも、大人になるにつれて甘えることができなくなると、急に個の存在として生きていくことが怖くなって、なりふり構わずに何にでもしがみつきたくなる。

執拗なまでに「こんな自分でいいんだよね?」、「自分は必要な存在なんだよね?」と確かめたくて、「愛してる」の一言がどうしても欲しい。でもそんな時ほど、自分の自信のなさが自分をさらに傷つけて、相手を責める行動にしかならないのです。

僕は思う、人はいつだって寂しいのだ。寂しいから誰かと共に生きる道を探そうとする。
だから、愛されることを望む心は当然のことなのだと思う。なのにそれを望むとダメになってしまうのはなぜだろう?

それは「自己満足」に至らないからだと思う。一見独り善がりに思えるこの言葉には、実は一人では成立しないという意味が含まれています。何故なら、自分の欲望を満たすためには、必ず“誰かを満足させた”という実感が必要だからです。あらゆる自慰行為が満足感をもたらさないのは、誰も自分の行為によって喜んでいないから。

お金がいっぱいあれば満足できるような気がする、でも持っているだけでは誰も喜ばない。
問題は自分の持っているものの“使い方”にあります。お金を使っても後悔するのは、売る相手と買う自分の間に“感謝”がないから…そこには「ありがとう」という心のカタチが見えないのだ。
だから、独り善がりでは自己満足になることは不可能なのです。

いつだって誰だって一人で頑張らなくてはならない。でも愛する喜びに感謝できなければ、愛される喜びはいつまでたっても来ないのです。それがわからないのが、もしかしたら「若さ」なのかもしれない。 

<一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり>

自分の“器”の中にあるほんの少ししかない“愛情”というもの、出来れば器いっぱいに誰かに満たしてもらいたいと願う。 でも最後の一滴まで誰かに自分の分を与えなければ決して満たされることがないという矛盾…見返りが保障されない恐怖。
もし周りの人たちが優しくしてくれるのに、自分は何も出来ず寂しさに打ち震えてたまらなくなってしまうときは、自分の中に愛情がちゃんとある証拠。だって誰も愛せないなら何も寂しがる必要もない、寂しいのは誰かを愛したいからではないですか?

参:未熟であるということは、これから熟するということ
「夢」を失ったときから「老い」は始まる



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愛は自分に聞け!(2006-07-17 12:20)


この記事へのコメント
全くその通りだと思います。
人間の欲望は
追いかけた分だけ
遠ざかっていくような。


その中でも誰かを
力いっぱい
見返りを求めず
愛する事が
ある意味本当に難しいのかもしれません。
はっと
気づかされた記事をありがとうございました(^^)
Posted by 深爪 at 2008年08月05日 08:27
>深爪さんへ

コメントありがとうございました。
自分の求めているものは、人に与えることによってしか得られないものかもしれませんね。
他者を通じてしか得られない愛情というもの、逆に考えればその他者とは自分自身となりますね。
自分の分身を精一杯愛せる自分がいること…世界中「自分」みたいな存在がいても楽しいって言えたら最高ですね。
Posted by ayanpaayanpa at 2008年08月06日 22:08
始めまして。こんにちは。
ブログ村から訪れました。
私は、海外はもちろん・日本でも原因不明の病気と闘っています。
今、病気の事から色々な事を小学生~短大生に『生きる大切さ』を中心としてさまざまな事について講演させて頂いています。
そんな中、小学生の思いを合わせた歌を作りました。
もし良かったら私が今回作った歌詞を拝見し
て頂きませんか?

yahoo!→固定ジストニア 検索
ちから 難病なんかに負けるな!!…

という題名が私のブログです。
コメント欄に感想入れて頂けたら嬉しいです…

お待ちしています。 
Posted by あや at 2008年08月11日 08:50
>あやさんへ

ホームページ拝見させてもらいコメントつけさせて戴きました。
固定ジストニア…あやさんの気持ちをわかったフリをして何かを言うことは僕にはできませんが、ただ一つだけ言うことが出来ることがあるというのならば、あやさんの言う「学び」なんだと思います。
どんな自分であれそれが自分自身でいいんだよとみんながお互いに認め合える世の中になったなら、「みんなちがって、みんないい」、きっともっと楽しくなるんだと思います。
Posted by ayanpaayanpa at 2008年08月14日 22:06
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