2008年04月28日

未来とは、巨大な“現在の意志”のことだ

僕達は未来に期待する。
自分の望む未来を、叶えたい夢を、今よりも豊かで笑顔で溢れる世界を。

でも、いつまでたってもそんな自分になれないのは何故?
それは、未来に期待はしても、今現在に期待できないからだと思う。

未熟で時間が経たなければ成るものもならない焦り、思うように物事がすすまない苛立ち、どうせだめだろうという諦め、過去の失敗から立ち直れない後悔…。知らず知らずのうちに幸せを未来に置いて、今の自分に幸せを置くことを赦していない。
こんな自分じゃないはずだ、もっと大きな幸せがあるはずだと、そこに向かって努力してもちっとも現実は動いていかない。
そんなとき神様仏様に祈る、「なんとかしてください」と…。

当然のことながら叶えてはくれない、その人は実際には願いが叶うことを祈っていたのではなく、失敗したときに運や神様の責任にする「言い訳」が欲しかっただけだから。
要求されるだけされて感謝もお礼もない、あるのは責任だけだなんて、神様だってたまったもんじゃない。

誰かが自分の未来をなんとかしてくれる、今はみにくいアヒルの子であってもいつかは白鳥になって大空を羽ばたける…と、今ある苦労を全部チャラにしてくれる奇蹟の力を待っている。 つい僕は神様やご先祖の意志に導かれ守られると信じ、自分の能力を挑戦させる“今”をほったらかしにしてしまう。
入信し帰依(きえ)して自分の意志をそこに置いているのなら話は変わるけれど、僕達は間違いなく自分の“意志”で動いているのであって、何者かの力で動かされているわけじゃない。

確かに宗教や奇蹟という何者かが僕達を動かしているように思える。でも、それはたった一人の巨大な“意志”が世の中を動かして奇蹟を起こしてしまうことの証明にもなります。そのたった一度の奇蹟は何千年も世の中に影響し続けて僕達を圧倒してしまう事実。 まさに未来はその“神”によって創られている。

神がかり的なことは非科学的な迷信と思うかもしれない、でも、歴史にある革命はその“少数の巨大な意志”によって変えられている。みんながこうなりたい、あれが欲しい、それがしたいと思うことを少数派がそれをまとめてポンっと一つの形にして見せたとしたら?…みんながその一つの形を共有したとしたら?…世界はただ一つの形に真実を見てしまうでしょう。

もしかしたら、今目の前に起こっていることは、自分がそれを見たから起こったことで、見なかったら起こらなかったことかもしれない。一冊の本を手にとって読まなければ、その言葉と出逢うことはないように、何気なく無意識に自分の求めていたものが目の前に飛び込んでくる奇蹟。

自分の意志があって別の意志と共鳴するとき、僕達は“巨大な意志”の塊になって奇蹟を見ることになる…それが“神”“仏”と呼ばれる存在として見えるのかもしれない。
ならば、「よし、僕もやろう!私もやろう!」とみんなが共鳴しあう意志を持ち合ったとしたら、現代の“神仏”を僕達が創りあげることができるはず。

結局のところ、僕達が“神仏”に求めているのは“未来”なのです。
未来は現在が創っているのであって、未来が僕達の今を決めているわけじゃない。
世の中が変化するのは、みんなの意志がおのおのにまとまりなく動いているからだと思う。
だから、ただ一人の未来を計画して実行していたとしても、変動する世の中では計画自体が自分の行動を縛り、臨機応変に対応することができなくなる…それが「こんなはずじゃなかった」となります。

未来をあらかじめ決定することは悪いことじゃないけれど、右肩上がりに成長してそこに到達する計画に期待はしない方がいいと思う。
それよりも、「共鳴させる意志」を現在に持つ事が「未来を創る」ことに繋がります。
世の中に動かされるか・動かすかは、その人の持つ“意志”次第。
極論を言えば、動かされてしまうことも、自分の意志がそうさせている。
誰かを喜ばせ互いに感謝し合える“意志”を持つこと。

もし自分の望む未来の予想図が、誰かの望む未来と同じであったならばそこに奇蹟は起こり未来が創られていくのだと思いませんか?

参:未来にあるものは今に必ずある

「誰も知らない世界へ向かっていく勇気を“ミライ”というらしい」 スガシカオ

「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」 高村光太郎





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