2005年10月11日
「欲求」の根底にあるのは、
“自己を誰かに認めてもらいたい”という感覚だ
(BY マズロー)
他人によく思われたいという考えは、人に様々な行動をとらせます。
「私にできることがありましたらいつでも言ってください」、「あなたに会えてよかったです」、「これからもよろしくお願いします」と笑顔で素直に言っているはずなのに心の裏側では「自分をよくみせたい」ために習慣として身についているものかも知れません。
恋愛関係で勘違いし、「私に気がある」と知らず知らずに恋愛感情を勝手に持ってしまうと「騙された」と後で後悔する場合もあります。
人は良くも悪くも自分という人間を演じて生きています。
ゆえに“本当の私”というものは、実はあるようでないのです。
社会・世間という“鏡”を無視して生きることはかなり大変なことだからです。
まわりがどうであれ私は私だ!と言える人は歴史に名を残しやすく、そしてその道は険しくなります。でもその中でうまくやっていける人たちがいます。それはすでに“権力”“財力”を持っている人です。
私は自己を演じ飾ろうとすることは決して悪いことだとは思いません。
相手に認められるということは、純粋に自分の成長や進歩だからです。
でも、相手を騙そう、自分をごまかそうとするために自分を演じて、自己顕示のためだけに終始して欲求に溺れて“権力”“財力”を自分に飾るのであれば成長はもはや望めないと思うのです。
「自分を少しでもよく見せたい」という欲求をごまかさず素直に表現することが自己の成長に繋がると思います。
(BY マズロー)
他人によく思われたいという考えは、人に様々な行動をとらせます。
「私にできることがありましたらいつでも言ってください」、「あなたに会えてよかったです」、「これからもよろしくお願いします」と笑顔で素直に言っているはずなのに心の裏側では「自分をよくみせたい」ために習慣として身についているものかも知れません。
恋愛関係で勘違いし、「私に気がある」と知らず知らずに恋愛感情を勝手に持ってしまうと「騙された」と後で後悔する場合もあります。
人は良くも悪くも自分という人間を演じて生きています。
ゆえに“本当の私”というものは、実はあるようでないのです。
社会・世間という“鏡”を無視して生きることはかなり大変なことだからです。
まわりがどうであれ私は私だ!と言える人は歴史に名を残しやすく、そしてその道は険しくなります。でもその中でうまくやっていける人たちがいます。それはすでに“権力”“財力”を持っている人です。
私は自己を演じ飾ろうとすることは決して悪いことだとは思いません。
相手に認められるということは、純粋に自分の成長や進歩だからです。
でも、相手を騙そう、自分をごまかそうとするために自分を演じて、自己顕示のためだけに終始して欲求に溺れて“権力”“財力”を自分に飾るのであれば成長はもはや望めないと思うのです。
「自分を少しでもよく見せたい」という欲求をごまかさず素直に表現することが自己の成長に繋がると思います。
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Posted by ayanpa at 00:00│Comments(0)
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