2005年11月04日

友情は卓見で、恋は盲目でなければならない  

(BY プチニセン)

「友人の欠点を見ない者は真にその友を愛する人ではなく、恋人の欠点を見る者はその恋人をもはや愛さない人だからである」と理由を述べています。
友情と愛情の関係はとても複雑で混乱しやすい部分だと思います。

例えば「男女間での友情はあるのか?」というもの。
私はあると思うのです。 
私の思う友情とは「称えあい檄しあい高めあう」関係で、愛情はそれにプラスアルファで「支えあい補いあい守りあう」関係のことを意味すると思います。
だから、異性間では友情が愛情に変化しやすいだけで、友情そのものがないということにはならないし、逆に友情抜きで愛情だけとするならば、互いを高めることなく利用され騙される関係にしかならないと思うのです。 友情のない愛情はないのです。

友情でも愛情でも互いに成長しあうことは同じ、でもその方法が変わるだけだと思うのです。
友情は相手を責め、愛情は相手を補う…どちらも人間関係には必要です。
この言葉の中にその答えがあります。



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この記事へのコメント
ayanpaさん
コメントありがとうございました。
魅力的なブログなので、またついつい来てしまいました。

>友情のない愛情はないのです。

なるほど・・・。
いい言葉ですね。
私も男女間の友情は成立すると思っています。

そもそも「情」をそんなに分類しなくてもいいんじゃないかという気もしますし。

言葉に惑わされるのではなく、たとえ名のない「情」でも見つめて感じてあげることが大事なんじゃないかな~と最近は思ってます。
Posted by きみか at 2005年11月05日 10:29
きみかさんこんばんは。
再訪問ありがとうございます。

そうですね、「情」というものをそこまで分類する必要はないと私も思います。
「情」って、言葉の意味だけで考えるととても難しくなってしまいますよね。
きっと誰かに自分の心をあずけるくらいの勇気を持つというのが「情」の本質なのかもしれません。
自分を守ろう守ろうとしすぎると、人の心はなかなか感じることができないものですね…私はいつも反省です!
Posted by ayanpa at 2005年11月07日 00:30
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