心理カウンセリング実践講座面白まじめ人生・野末陳平塾和みのヨーガ実践講座

2009年06月25日

人は“呼ばれる”

名前。
それはその人を表す最も重要な“しるし”であり、アイデンティティ(自己統一性)の確立を担っているものです。
しかし、自分であるということを認識する時には、子どものころのように自分の名前を自分で言わない限り、名前というものはさほど重要でなくなります。じゃあ、名前というものが重要になるときは?というと、それは「呼ばれる」ときにそのイメージや実質の性格が言い表されるのです。

ニックネームやペンネーム、ハンドルネーム、全てはその世界においての自分の存在の“しるし”であり、その名においてキャラクターを形成していきます。 それをエクリチュール(※)と言うらしい。
不思議なもので、“名前”を持つものはその呼ばれる度にその名前の持つ性質を自ら形成していくという「言葉によって物質は変化する」現象が起こります。ここに「願いは叶う」とか「ウソがまことになる」真理があるように思える。

何気なく一冊の本を手にとるという行為にしても、僕達は意味があるからと考えて手にすることがない。ただなんとなく無意識にまるでその本に“呼ばれる”かのようにふと反応してしまうのです。意味があるかないかはその後の話で、僕達を“意味付ける”物事はいつも“行動した後”の事なのです。
誰かと出会い、恋をして別れたり結婚したり、仕事をしたり旅行をしたりお洒落をしたり…期待はしても、意味なんか最初に考えていないのではないでしょうか? 

この不思議な“縁”というもの、ユングの言うシンクロニティ(共時性)のように、偶発的に起こる必然の出来事。それを結びつけるのが“言葉”というもの。
だから、僕達が誰かの名を呼ばなければ、誰も振り向かない。そして誰も自分のことを呼ばなければ“わたし”は反応しない。

名前を持つということの意味とは、その存在がそこにあることを認めるということ。おばけも妖怪も宇宙人も、目に見えなくても“名前”があれば存在することができるのです。
僕達は名前を持っている。今ここに意味を持って存在しているし、誰かに呼ばれるために生きています。だから、もっと自分の名前を大切にしてもいいと思う。もし、自分の名前が好きならば、呼ばれる度に幸せになるはずなのですから…。


※ エクリチュール。
哲学者バルトによれば、人は自分の使う言葉によって自らを縛り付けるものらしい。
例えば、社会人という立場、恋人という立場、親という立場、病気をしたときの患者の立場、子供という立場…など、一人の人格であっても、その立場によった言葉を人は用いて、その立場らしい振る舞いをしようとするのです。
映画館から出てきたばかりだと、主人公に成り切った立場で物ごとを話す人もいたりと、どうやら、自分の使う言葉によって人はキャラクターを変化させることが可能らしい。
そんなエクリチュールを使って誰でもないオリジナルのものを創造することも出来る葉面、一度そのエクリチュールに縛られるとワンパターン化されて融通の利かないものになってしまう危険もあるそうです。
  

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2009年06月13日

過去は忘れなくていい、赦してしまおう

生物は環境によって変わるものだという。
確かにそうだと思う。ちょっとした気候の変化で体調を崩しやすくなったり、旅行や引越しなどで今いる生活とは違う場所で生きてみると自分の習慣や思考回路が変わったりすることはよくある。

でも、ひとつだけ変わらないものがある。
それは自分の存在の在り方というか、“自分は常にここにしかいない”という事実。今の自分を変えたいと“自分探しの旅”と称して飛び出しても無意味になってしまうのです。

環境が変わろうが、習慣や考えが変わろうが“自分である”ということは変わらない。
そう考えると、自分を苦しめてきたと思っていた環境や状況、習慣や周囲の人達によって実は根本の部分では傷つけられていない、自分を苦しめてきたのは実は自分自身なのだということを認めなければならない。
いや違うそんなはずはない、環境がそうでなければ自分はもっと違う人生を送れたはずだとか、あんな目に遭わなければ幸せであったのに…とか、それは実は環境や境遇のせいではないということ。それは“過去”に起ったその状況を悔やんでいる“自分自身”が赦せないのだ。

だから、どれだけ環境や習慣を変えようとも、その過去を赦せなければいつまでもどこまでもその自分は憑いてくる。
赦してしまえばいい、とても簡単なこと。でもそのためにどうしていいかわからないから、このままではどこにも辿り着けないからとにかく“ここ”ではないどこかに飛び出していくのでしょう。そこで環境が変われば色々な見方が出来るようになる、そしていつかは“ここ”に戻って過去の自分ともう一度対峙して赦せるかどうか自分に問うてみるのです。

赦せれば本当の意味で変わる。赦せなければもう一度どこかへ向かわなければならない。そんな風に自分の“中心”とは最も赦せない場所にあるのかもしれない。
過去を忘れるために未来を幸せ一杯に満たそうと努力したとしても、赦していなければその幸せは穴の開いたコップに水を注ぐようなものになる。

「それでいい、それも自分だ」と思えるまで、カーテンに燃え移った火を消し止めるような努力はできても、火元のガス栓を閉めることはできない。
もし、自分が本当に変わるとするならば、それは過去を変えるんじゃなくて“過去”によって変えることができるということ。ならば、自分の歩んできたもの全てを愛してしまおう。

「禍福は縄を糾う(あざなう)が如し」、良いも悪いも一人の人間の人生でのことなのだ。
これまでのこと、これからのこと、忘れなくていい。だって、本当は自分のことが大好きなはずなのだから…。

  

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2009年06月07日

「自信」とは、自分に出来ないことを知ること

何でも知っていて何でも出来るマルチな人間なんているのだろうか?
あらゆる知識に精通し技術向上に努め、どんな不測の事態に陥ったとしても最善の対応が瞬時に行えるような人間になれたとしたのならば、自分の中の自信が満たされ何事にしても勇気を持って生きられるような気がする。でも、完全無欠な能力を持っていたとしても、世界一頭が良いエリート集団の組織だったとしても、破綻してしまうのは何故だろう?

その破綻の原因は単純に“不信”という他者とのミスコミュニケーションだったりする。
自分の「自信」として持っていたものが他人の悪意によって侵されたとお互いに牽制し合って、そいつがいなければ・自分だけでできたのなら…と自分自身に対する尊厳を崩さないために、他人の失敗にして“不能”であった自分を認めようとしない。そんなものが“自信”と呼べるのだろうか?

資格を取ったり、専門的な知識を得る努力は、自分の能力を高めるためにはとても重要だと思う、でもそれが自分の“自信”として付いてくるかどうかは別。きっと、知識や技術が“自信”として自分に付くために、最も大切な学ぶべきことは、“コミュニケーション能力”なんだと思う。そしてそれは、「自分に出来ないことをキチンと把握する」ということでもあります。

何故なら、「自分が何者であるのか?自分には何が出来るのか?」を自分に問うことの出来ない人は、他者に対して興味を持つことが出来ないから。自分に問えないということは自信を持てないということで、他者との接触は恐怖となる。誰かにすがるということもあるけれど、自分が何かに依存していることを了解しなければ人に溺れる。

実際には自分が何者で何が出来るかを知っている人なんてほとんどいないと思う。でも自分ではない者や出来ない事はちょっと自分に向き合えば知ることが出来るはず。
まだ何者にもなっていないのに可能性を潰すようなことはいけないことのように思えるけれど、何かに秀でた人というのは自分の”身の程“を知った上で自分の可能性を模索しているように思える。

出来る人は自分に出来ないことを知っている人。だから、自分には出来ないことを簡単にやってしまう人を見つける能力が高くなる。それはその人を尊敬できるということだから、協力を素直にお願いすることが出来る。人は誰かに頼りにされるということを幸せの一つとして感じるもので、“信頼”という名の下に関係は結びついていく。
その信頼関係こそがコミュニケーション能力であって、お互いに出来ること・出来ないことを補完し合える集団の一員となれたときに“自信”という安心感に似た勇気を持つことが出来るんじゃないだろうか?

そこに「存在の法則」、持ちつ持たれつの関係性を知ることができる。誰も一人では生きることは出来ない…それを知ってしまえば、みんなと共に生きる“自信”が付いてくるのだと思いませんか?

参:自立とは、依存を了解すること
一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり
みんなちがって、みんないい (金子みすず)

  

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2009年05月23日

幸運とは“当たり前”なこと

「風が吹けば桶屋が儲かる」
もちろん桶屋が儲かる原因が全て風が吹いたことによるものじゃない。
ひとつのきっかけが連鎖反応的に物語をつくり、結果としてそうなったということ。

あらゆる問題にしても、たったひとつの原因で起こるということもないのに、例えば自分の不幸さも「~がなければ」と原因を一つに絞り込むことで解決してしまったかのような気分になることがあります。
問題は状況的、身体的、心理的など色々な絡み具合によって生じるものだから、にっちもさっちもいかない状況に抜本的な解決というものは存在しない。その代わり、その複合的な原因で起こった問題は、その絡みの中にあるほんの小さな原因の一つが解決されることで、これも連鎖反応を起こし問題が解消されることもある。
だから、なにか問題が自分にのしかかってきてそれを解決したいときには、解決可能な部分からやっていくことが大切なのだと思う。

例えば毎日が楽しくないならば、まず毎日の生活にあるしこりのような“そうなれない自分”の部分を少しずつ変えて、楽しい自分を創っていくこと。毎日毎日正しいと思うことを繰り返す様な、結果がなかなか出て来ない焦りや苛立ちとの闘いによって、はじめてセレンティビティ(偶然幸運に出会う才能)が開花される事実。
それがプリペアド・マインド(幸運が準備された状態)としてシンクロニティ(共時性)を引き起こして良い結果を導き出すことができます。

ほとんどの大きな問題は、言い換えれば、「どうでもよい問題たちのカタマリ」だったりします。夏休みの宿題のように、少しずつ毎日やる習慣さえあれば困ることもない。
未来に起こるかもしれない巨大な不幸に怯える自分の正体とは、実は色々な些細なことをないがしろにしているという自覚であるかもしれない。だから、極端に言えば小さな問題をコツコツ解決する習慣さえあればその人に危機的状況など起こらない。
体重が2.9kg増えたくらいまだ大丈夫取り返せると思うのに、3kgになった瞬間にいきなり危機的状況が訪れたりするのは、「夏休み8月31日の夜」の様な気持ちなんだろうか。

もちろん、「友達ノート」のような裏技もあるけれど、自分の力にするという根本の問題は解決されない。 邪悪なものに対抗し、幸運を手に入れる方法。それは部屋を掃除して、家族でテーブルを囲んで食事を摂ることであるのかもしれない。
当たり前のことを当たり前にできる能力。それが幸運なのだとは思いませんか?  

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2009年04月24日

内側の内側は、外側  「生物と無生物の間」


誰かを幸せにしてやろう、誰かを救ってやろう、とする自分の心に疑問を持つ。
自分自身を幸せにも出来ず救うことも出来ないのに、そんな犠牲的になってしまっている自分が本当は嫌いなのだ。遠慮のかたまりであるのか、ただのお人好しであるのか、「元気出して!」と励ます自分が一番元気が無かったりする。あれこれとアドバイスを言うものの、「じゃあ、お前はどうなんだよ!」と言い返されたら、意地を張って言い返すか黙り込むしかない。

世界を変えたり人を変えたりすることは、良い人に見えるし、人徳の備わった人格になったかのような気になるけれど、それは誰かの役に立っている自分が嬉しい反面、その人よりも上の存在になったかのような優越感に浸っていたいという願望もあることは否定できない。

自分が犠牲的になれるのは、本当に自分がまず幸せであると実感できてからなのだ。
自分が幸せであると実感し感謝するからこそ、他の誰かの人生を祝福しその人自身の力で自分を変えていくのだ。だから、変わるべきは常に自分であり、自分が他人を変えることなどできないのだと思う。

他人のことなら、「こうしたらいい、ああしたらいい」と言えるのに、自分自身に対しては一向に良いアイデアが浮かばないのは、気持ちの問題が解決していないから。気持ちがアドバイスを受け入れてくれないから、どんな良いアイデアも「それは無理だ」と沈み込む。だから、誰かに「大丈夫だよ」と自分の人生に裏書きをして欲しいのだ。自分の気持ちを良い気分にして、すんなりとアイデアを受け入れられる状態にして欲しいのだ。

本気で自分のことを思ってくれている人の言葉は、ジンと心に染みる。もし、それが自分自身に対して出来たのならば、その人はきっと自分の人生全てを祝福しきれるんだと思う。それが「変わる」ということであり、幸せを感じるということなんじゃないだろうか?


<内側の内側は、外側>

嫌いな自分に不満を持ち、外の世界にばかり自分の幸福を求めている自分を本当に救ってくれるのは、外側の外側…つまり内側の自分。自分の内側を幸せ一杯にすることが出来れば、その次にさらにその内側の自分を求める…それが外側。
それは、空気で膨らんだ風船に指を深く沈むように押し当てるかのようなイメージで、指で凹んでへその様に閉じた部分は、風船の外からみれば内側になり、風船の内部から見れば外側になるでしょう。

その時、世界は自分の内側に内包され、それは同時に自分の外側の世界へ通じることになります。
僕達の“想像の座”とは、あるべき未来のためにあると同時に、あってはならない未来を阻止するために機能します。外にある世界が何かと騒がしく、自分を暗く覆ってしまいそうな時にこそ、自分の内側を充実させ外の世界を幸せで包んであげる気持ち。

一人では世界を変えることは出来ない、でも、みんなが優しさで世界を包むのならば、何かが良い形へと変わるのだと思いませんか?
  

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2009年04月18日

「あなたが抵抗するものが存在し続ける」 カール・ユング

「抵抗」という名の要求。
自分の望むものには「欲しい!」とその目標に自分のエネルギーを注ぐ。それだけに集中できれば夢中になれるし、そのために努力している自分が嬉しくなる。 反対に、自分の望まないものに「いらない!」と抵抗し、それに対しても自分のエネルギーを注ぎ込むと、同様にそこに集中し暗鬼となり、そのために努力している自分が苦しくなる。

自分の望まない状況や感情など、世の中にはたくさんあって、それさえなければ自分は幸せになれるのにと考える。でも、じゃあ、自分の望む世界とはどこにあるのかと言えば、単純に自分の望まない状況や感情のことを“考えない自分”があることだったりする。
ということは、自分の望む世界とは今すでに“ここ”に存在していて、ただ自分で望まないことを一所懸命考えているからいつまでも満足できない自分が存在することになる。

自分の幸せにエネルギーを注ぐのと、自分の不幸にエネルギーを注ぐのとどちらがいいですか?と聞けば、たいていの人は前者だと答えると思う。でも実際にやっているのは、自分の過去やトラウマ、劣等感や自信のなさにエネルギーを注いでしまっているということ。 怒り哀しみ、悲劇の英雄や美女のように犠牲的だ。
貧乏になるかもしれない、病気になるかもしれない、みんなに嫌われるかもしれない…。マイナスを解消するものはプラスになるものであって、自虐的なマイナス思考はマイナスを増大させる。

そんなことを言っても、それをしなかったら自分は成長できないとか、強くなれないとか、忘れることが出来ないとか言われそうだけれども、プラス思考とは、マイナスがそこにあると認識してこそのものであって、ネガティブなものがなければ、そこにポジティブなものを持ってくる必要がないのです。


<もし自信をなくしてくじけそうになったら、いいことだけ思い出せ> やなせたかし

自分の望まないものに気付いたとしたのならば、それはとてもいいことです。
何故なら、その逆にあることが「自分の望むもの」だからです。「泣かない」と抵抗しているのは、「泣きたい」が存在するから。そこで泣きたいだけ泣いてしまえば「笑いたい」自分に気付く。友人に会社やパートナーの愚痴を言ってストレスを解消する、それは自分は何に不満を持っているのかを聞いてもらうことによって誰かに受け入れられ、自分に確認出来るからです。

問題はそこから「どうなりたいか?」ということ…それが自分の望みとなる。
いったい今何に“抵抗”し考えこんでいるのか、考えてみると面白いかもしれませんね。  

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2009年04月14日

成功は外からではなく、内側からやってくる

餓鬼。
欲望を食らう鬼であり、それは“我(エゴ)”という自分自身を蝕む自分だったりする。
天恵とも言えるアイデアやチャンスと呼べるものが自分に降りてきたとしても、疑心暗鬼、その鬼はアメーバのごときやってきて、拡がろうとするその明るい世界を周囲から湿らせ腐った部分からポチリポチリと食べていくのです。

誰の心の中にも“完璧な世界”というものがあって、自分の望むもの全てがそこにあるのだけれども、その心の中から外の世界へ向かわせようとしたその途中に餓鬼は潜んでいて、大きな夢や希望なんてものは殆どが食い散らされてしまう。それでも、なんとかその餓鬼から逃れて、命からがらに外の世界へ出てきたものが、”現実“を創りだします。

だから僕たちが夢とか希望とか願いとか言っているものは、現実に出てくる時には傷付き疲れ果ててしまっていて、思うようには行かないと感じている。
まるで、何かのテレビゲームでもしているような感覚で、僕たちはモンスターを倒し傷付き、宿屋で体力を回復させながらレベルが上がったあの音が鳴り響くまで闘い続けていかなければならない。

怒鬼、憎鬼、哀鬼、欲鬼、妬鬼、悔鬼、弱鬼…色々なモンスターがそれぞれの場所でそれぞれの強さで自分の歩いていこうとする道々で対峙してくる。もしそうだったら、そのモンスターを倒せば、経験値もコインも、時々アイテムも貰えるということになる。
一気にレベルを上げたければ、強いレベルのモンスターと闘わなければならないし、自信がなければ宿屋の近くで同じところを何度も往復して地道に経験値を獲得していかなければならない。
 
そう考えてみる自分が妙におかしく思える。なんてことはない、自分の心の中でもそんなことをやってしまっているのだ。だから、一つの壁を越えたと思ったら、すぐに次の壁が自分の目の前に立ちはだかる。その都度その都度モンスターも強くなっていって、「ああ、いったいいつになったら安心できるようになるんだろう?」と自分の努力が一向に幸せに向かっていかないような無力感に挫折しそうになる。

真の平和はボスキャラを倒すまではやってこない。そのボスキャラとは、つまり自分自身に巣食う“我”鬼なのだ。現実に自分の望むものがすーっと出て行くようにするためには、そのモンスター達に負けないくらいのレベルまで思いを上げていかなければならない。

それは赤子が「おぎゃー」と命の息吹を出すかのごとく、ねじきれるような苦痛を伴うのかもしれない。でも大丈夫。現実は待っていてくれる・・・というのか、自分の歩いた場所が現実になる。どこかにあるだろうと思っている自分の成功は、実は内面の敵を上回る力を持ったときにやってくるのです。もし、自分がそこで自信が付いたとしたら、拡がる世界は自分に優しいのだと思いませんか?  

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2009年04月09日

感謝と祝福は不幸と否定を消し去る



苦しいのは過去のせいじゃない。過去によって得た何かによって“今”が苦しいのだ。
だから、自分の過去を責め立てても何ひとつ苦しさは緩和されることはないのです。
何を得ていて、何を赦(ゆる(せずにいるのか?それを“今”に考えることによって、「これからどうしたいのか?」という問いに変えることができる。

自分の視点というもの、自分の欲しいものは過去に求めることはできない。
ただ“もうすでに起った事”だからこそ具体的に視覚化できるだけであって、“これから起る事”を具体的に視覚化出来ないから、その代わりとしているだけなのだ。

社会不安、家庭不和、喪失感、欠乏感…など、自分の周囲にある現状が“今”を苦しめていることだってあるけれど、でも本当は不幸だと思う自分の心には、いつも感謝も祝福もできない自分があるから。愚痴を言う自分が嫌いだとわかっていても、愚痴を言わずにはいられないし、幸せになりたいと思っていても、そうなれないと自分を思わないわけにはいかない。


<今日も明日も愛と感謝に生きよう> Superfly「愛と感謝」

誰かを祝福するときには何故か人は拍手する。二つの手を合わせることで鳴るあの音はいったいどこから出るのだろう? 右手?左手?空気?…どの要素が欠けてもあの音は出ない。でもその音はそこにあるのだ。
禅問答の一つだけれども、何かと何かが“仕合わされる”ことが幸せだと捉えることもできるかもしれない。それは、「自分」と「相手」を合わせて初めて何かが響くと言う意味で、片方の手がお留守だったのだとしたら、あの音は鳴らないことになる。

多分、自分の望むもの、チャンスや豊かさはいつも片手となって自分に振り降りてきているのだ。でも、もう片方である自分の片手が上手く構えられないので、なかなかパチンといい音が響かない。
もうそろそろ気付いてきてもいい頃なのかもしれない。苦しい今にこそ、それでも生きている自分に感謝し、それを祝福してあげる気持ちを持つということを。頑なに「~でなければならない」と「絶対に赦すことができない」と強く思い込んできた自分では、決して幸せを感じることができないということを。


<自由になれば、必ず何かが見つかる> 岡本太郎

自分という片手をすっと構えて、誰かがハイタッチしてくるような気持ちを持つこと。
嬉しくて、楽しくて、幸せを感じずにはいられない状況を今度は強く思い込んでみる。
一日にたった1分だけでも愛と感謝でいっぱいの自分が出来上がる。不思議とそんな時はいい事が起ったりする。それがシンクロニティ(共時性)や、セレンティビティ(偶然幸運と出会う能力)というものだったりする。まさに、もう片方の手と仕合わされた瞬間。
いい事が起らなかったとしてもそれにすら感謝してみると、次第にそれが自分の楽しみになり、時間もそれに連れて長くなり、最後は一日中何かに感謝し祝福できる自分となる。

今、もし不幸についてそこまで自分を苦しめることができる”強い意志”を持っているのだとしたら、そのエネルギーの方向を変えるだけで強く自分を幸せに変える意志を持っているということなのだと思いませんか?
  

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2009年04月05日

最初の一歩を信じなさい



<道の全部が見えなくてもいい、まず最初の一歩を進んでほしい>

「希望」は懐中電灯のようなもの。真っ暗闇に一人怯えて前に進むことができないとき、一丁の懐中電灯があったらどうだろうか? 昼間のように自分とそのまわり全体を照らすことは出来ないので、あっても頼りないと感じるかもしれない。でも無いよりはまだあった方がマシだと思うはず。

せいぜい5メートル先までしか照らせないので、足元をよく確認しながらでないと先へ進むことはできません。でも、それだけの範囲が照らせるのであれば、どれだけ先が闇であっても前へ進むことは可能なのです。5メートル進んだ先もその次の5メートル先も、光はいつもその5メートル先を照らし続ける。

だからもし、希望という懐中電灯が弱く頼りないものであったとしても、ずっと何かを照らすだけの力さえあれば次々と道は拓かれていくという事実。
それは一重に自分の持つ希望というものを“信じる”ということであり、そこに安心や勇気というものを託すということによって電池は切れることなく最後まで照らし続ける。希望は夜空に光る一つの星のように遠くで微笑んでいるかのようなものにも思えるし、海の水平線の向こう側で待っているかのような、どちらにせよ自分の手が届かない存在として考えているのかもしれない。

でも、時には自分の足元だけを照らす希望だってあるのだ。先の見えない怖さに足がすくんで夢も希望もないと思うとき、今自分が何を持っているのか、どんな可能性が残っているのか?という考えまで中々行きつかない。
ただ闇を呪い、自分を包む恐怖に慄き、小さく身を縮めてジッとそれが一夜の悪夢であることを祈って耐えようとする。それでも一向に朝日が射さない自分に焦りなんて不運なんだと、嘆くばかりでそこから一歩も前に進むことが出来なくなりやすい。
「こんなはずじゃなかった」「いったい自分は何がしたかったんだろう?」と思う時にこそ、ほんのささやかかな灯りでいい、自分の足元だけでも照らす「どうしたい?」という希望を持ってみる。

あれこれ心配して何をやってもダメなとき、何も考えずただ自分の立ち位置を認めたとしたならば、千歩先が見えなくてもそこからまず一歩は踏み出せるはず。焦らなくていい、自分の周りは崖だらけで動けば落ちてしまいそうだと思った現実はそこから先へ進んで行くのだと思います。  

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2009年04月01日

失敗を前提に何かをやってごらん

「成功するためにはどうすればいいか?」
そんな成功本や啓蒙や箴言がたくさんあるけれど、「どうすれば失敗するか?」という一般に多い事例については極端なほどに少ない。それに、考えてみると、「成功してごらん」と言うよりも、「失敗してごらん」と言われた方が、逆に難しい。成功したいと思っている人にわざと失敗させようとすると、それが出来ないのです。

一枚の紙と画材を渡して、「ヘタクソでデタラメな絵を描いてごらん」と言ってみる。
最初は乱暴に筆でかきなぐったり、手や足でぐちゃぐちゃにしたりしてみたりするけれど、何故か最後にはどこかに説明的な部分やバランスをとろうとした部分が見えてしまう。 子供の絵のように自由じゃない、何かを狙ったような不自由な絵が出来上がる。
まず「絵を描こう」と思うことが不自由だったりする。

それと同じように、僕達は“成功”という言葉に不自由にさせられてしまっている現実があると思います。もし、彼が本当に何も狙わず自由な絵を描ききれたとするならば、それは一つの芸術作品にも成り得ることだってあるから、それが“成功”とも呼べるのに、失敗することすら“成功できない”ことが実際にある。

「成功」とか「失敗」とか言葉はあるけれど、いったい何をもってその二つに分けることができるのだというのだろう? ひとつは「人に認められるかどうか」だろうし、「自分の思った通りになった」とか「心配することがなくなった」とかが成功と言えて、その逆が失敗になるかもしれない。

でも、認められず、思い通りにならない、心配ばかりの物事は”失敗”なのだろうか?
テストの点数や内定の数、年齢の数や資格の数、お金の数など、数字で表されるものはとても分りやすいし他人との差が見えやすいから、それを“成功”とすることもできる。でも、それは結局は他人と比べての優劣なわけで、自分にとっての成功とは呼べない。 僕の思う成功とは生命が呼吸するかのような、打てば響いてくる感覚があるものです。
それをやっている自分が夢中になれて、何か大きな波に乗ったかのような高揚感や逆に呑み込まれたかのような悩みを伴う、常に自分が動いている実感があるもの。

決して落ち着かないし、自分の思う通りにならないし、認められることかどうかもわからない、でもドキドキしてワクワクしてそれをやらないわけにはいかないもの…それが自分が成功している姿として、きっと自分が一番幸せ瞬間なんだろうと思えるのです。
例えるなら恋…そう、きっと自分の人生に恋ができることが成功なんだと思う。
そう考えると、恋には失恋が付き物だし、疑いや甘え、抱擁や拒絶、取引や犠牲があるのは当たり前なことなのだと自分が納得できるような気がする。

恋は”する”ものじゃなく“落ちる”ものだから、成功するためにはどれだけ失敗に向かって“落ちる”覚悟を持つことができるのか?を考えた方がいいんじゃないだろうか?
失敗を恐れて落ちれないから、シャイな自分を言い訳にして思いのタケをぶつける機会を失い、成功を見逃しどこにも動けない自分の人生を呪うしかなくなる。

だから失敗とは、失恋したくないから恋はしないように、動こうとしない自分がいることによって起るのではないでしょうか? うまくいかないことが失敗なんじゃなくて、何もしないということが失敗になる。そこで自分の存在に疑問を持って無理に自己主張をしようとすると、人を傷付けることになってしまいます。

成功するのは難しい、でも失敗することもまた難しい。まずは自分を“そこ”に飛び込ませてしまうこと、そうすれば何かが動き出し変わり始めるのだと思います。  

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