2009年07月06日

人生は“らせん階段”

僕は自分のやり方を疑った。疑った瞬間から、今までうまくいっていたことが全てひっくり返ってぎこちない物事に変わっていった。
普通に挨拶をして、普通に仕事をして、普通にごはんを食べて、普通に酒を呑む…。
まるでケーキを箸で食べているような、出来ないことはないがしっくりこない毎日になる。
かつての自分は真理に会っていた。成るがままに、成すがままに、あるべきものがあるように、自分の行うこと全てが川の流れをすべる木の葉のように自然だった。
でも、ある時から”自我“というものが芽生えて、自然に逆らうようになった。こうしたらどうなんだろう?ああしたらどうなんだろう?とあれこれ違う方法を探していたら、今まで自分がどうやっていたのかがわからなくなった。

<急がば回れ>

いつのまにか僕は、成長という名のらせん階段にはしごをかけて上へ上ろうとしてしまっている。だけれどもどこを探してもそのはしごが見つからなくて、その場に立ちすくんで泣く以外に自分を慰めることができない。行ったり来たり、同じことを繰り返し繰り返し生きる以外に成長はできないということを頭の中ではわかっているはずなのに、心が焦って道に迷ってしまうのです。

自分は、自分が、自分に、自分で…全部「自分」という小さな世界だけで物事を見ようとするから、全体の大きな世界を捉えることができない。良い時も悪い時もあるし、順調な時も不調な時もある。順調な時に良いことが起れば有頂天になって、不調な時に悪い事が起れば絶望する。

言葉として並べてみれば当然のこと。当たり前のこと。だからその時を受け入れればいい。僕たちにたまたま起こる不幸な出来事はたまたま起る奇跡のような幸せと確率的には同じであるということを信じることができない。
少しばかり何かを得られても、それ以上のたくさんのものを奪われているかのような、まるで闇金に借金しているかのように感じているのです。実際は税金や年金と同じく、取られてはいるが全部じゃない。大きな幸せを望めば、税金もその分多くなるだけ。苦労や逆境をそう捉えると、自分だけが強いられている幸せの搾取と思うのか、社会全体で助け合うために必要な還元と思うのかだと考えることができる。

ならば順境も逆境も全てが自分にとって必要であると言ってもいい。無駄なこと、実らないこと、意味がわからないことも、気の遠くなりそうなほどの長いらせん階段を一段ずつ踏みしめていけば、きっと何らかの形としてわかってくるに違いない。だから、人生にショートカットなど存在しないし、また必要もないのだと思います。

もし、寒く厳しい時にも強く楽しく生きられる自分でいられるのなら、どんな時も楽しい自分に出会えると思いませんか?



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真実は嘘をつく
真実は嘘をつく(2009-10-21 07:54)


この記事へのコメント
生きる意味を真剣に考えれば考えるほど、足踏みして前に進めなくなるような気持ちになります。しかし、それは単なる甘えであって、自分の中でしかない狭い世界でジタバタしてるだけだと痛感させられました。一歩ずつゆっくり歩んで行こうと思います。素晴らしいお言葉ありがとうございました。
Posted by ken at 2009年07月07日 09:13
検索エンジンより参りました。
大切な格言ですね。

なんだかいろいろと考えさせられます。
まt訪問させて頂きます。
Posted by けんぞう at 2009年07月07日 10:44
>kenさんへ
10年前に悩んでいた問題を10年後の今も悩んでしまったりしますが、でも、10年前と10年後では悩み方が違っていることに気づくはずです。
なんであんなことをしたのか後悔したということは、それだけ自分が成長した証でもあります。なぜなら10年前は恥ずかしいと思わなかった自分がいたのですから…。そう考えると、恥じや後悔の多い過去とは、それだけ今の自分がすばらしくなっているということかもしれませんね。


>けんぞうさんへ
コメントありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。
Posted by ayanpaayanpa at 2009年07月07日 19:13
足元だけしか見ていないと
いつも同じ階段だけ
グルグル グルグル 繰り返し
その所作に飽きて
いつもと違う登り方をしてみよう とか
もっと他の道すじは無いのかしら とか
そんなことを考えてしまったり

でも
らせん階段なんですね
ただ同じ事を繰り返していたようでも
必ず上に登っている

人生にショートカットなど無い という言葉に
本当にそうだなぁと思わずにはいられませんでした

今日も楽しく考える時間をいただきました
ありがとうございます
Posted by はーと at 2009年07月07日 21:20
はーとさんへ

いつもコメントありがとうございます。
人生を早く進ませることはできたとしても、ワープすることはできないですよね。
退屈な日々って、その事実をねじまげてしまうような気がします。
僕はあいもかわらず行ったり来たり、成長はいつのことになるのやら…。
「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」
自分の歩いてきた道程こそが自分の人生なのだと思います。
Posted by ayanpaayanpa at 2009年07月08日 19:21
お久しぶりです、cherryです。

「最も多く知る者は、最も多く疑う」というアエネアス・シルウ゛ィウスの言葉のように、ayanpaさんも色々なことが見えるからこそ疑ってしまうのだと勝手ながら思いました。

それは「自分」という小さい世界でものを観ているのではなく、全体の大きな世界を観ることができているからこそだと思います。

とても素晴らしいと思いますよ。
Posted by cherry at 2009年07月08日 23:47
cherryさんへ
おひさしぶりです。
ありがとうございます、でも、僕は何も知らないから知りたいと思っているだけなんですよ。
僕が知りたいのは、まだ知らない自分だったりします。
だから、ああでもないこうでもないとウダウダ言ってしまうのかもしれませんね。
過ぎたるは及ばざるがごとし…なんでもほどほどがいいんですどね…。
Posted by ayanpaayanpa at 2009年07月11日 19:44
はじめまして
友達の子供が家庭内暴力かな?そんな感じで、相談され、どうしたらいいのかわからず 僕の前に道はない僕の後ろに道はできる って誰の言葉だっけ?って調べてて、ここにきました…人生色々ありますね…私達大人だってもがいてたりするんだもの子供にはどうしてたらいいのかわからない事いっぱいなんだろうな…でも早く明るくなって僕の前に道はない僕の後ろに道はできる わかって貰えたらと思います…
Posted by ももじろう at 2009年07月15日 00:27
はじめまして、ももじろうさん。
家庭内暴力ですか…。
多分、どんな回答を用意できたとしてもそれを行う本人の気持ちが正面から立ち向かわなければ解決は難しいと思います。
人が暴力に訴えるときは、自分の中にある言葉にできない感情をどこかにぶつけたいときです。何かに抑圧されたか傷つけられたか、とにかくそうなるまで表現することが許されなかった心の塊…だから、どこかにぶつけて受け入れてくれるまで続くのです。
たしか、高村光太郎で合っているとは思いますが、本当にそうですね、子供にはどうしていいかわからない。 だから正面からぶつかる覚悟が必要で、抑え付ければ余計にややこしくなりますね。
わかったふりをして子供を扱う大人、表と裏の顔を持つ大人、あるときは子供扱いして、あるときは大人として責任を持たせようとする大人…、大人になればわかることでも、そこまでには長いらせん階段を上らないとですね。
Posted by ayanpaayanpa at 2009年07月15日 06:35
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