2005年10月24日

イヤなことは、“正しくない”と思いたい

これは人間の性(さが)でしょう。 
どれだけ正しい理論であっても自分に都合が悪かったり、嫌悪する相手だったりするととにかく反対や批判をしたくなるものです。

もっと他に正しいことはある…とか、そのやり方はきっと失敗する…とか、理論よりも感情が先に立ってしまって、物事の本質を見ようとしない。そしてありもしない虚言で相手を攻撃するだけになってしまうのです…いかにも自分が正しさの象徴であるかのように…。

世の中に起こる大概の争いは、こんなところが理由ではないでしょうか?
世の中には、様々な国家・宗教・人種・文化・歴史…などがあります。
どこが間違いで、どこが正しいのか?

そう、全てが正しく、全てが間違いなのです。
お互いに自分の都合によって正しさや間違いの“区別”がつくだけなのです。

ですから、どちらかが一方的に“正しい”ということはないのです。
それは、ちょこっとした痴話喧嘩から戦争まで、なんら変わりません。

“本質”をキチンと分析し、感情まかせにならないで相手を理解するところからはじめなければならないようです。

参考: 優れた民族は他の民族に対して寛容だ



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