2005年12月02日

相手の中から引き出す自分…それが愛だ

(BY 岡本太郎)

人は必ず日本神話のイザナギとイザナミのように、「なりあまれる」部分と「なり足らぬ」ところがある。何かが満ちすぎで、満ち足りていない…余分で欠落した部分がある。
一人一人向かい合って相手を見て一体になってはじめて一つの全体な存在、いわば一つの宇宙になるのだ。
これが「愛」の問題の根底であり、だから自分にはないもの、むしろ反対のものに惹かれ、“永劫の昔に自分の生身から切り離された半分(※)”をほとんど盲目的に求めるのだ。

(※プラトン哲学に出てくる神話。人間は元々“男男”と“男女”と“女女”の独立生命体であった。しかし、人間の愚行に激怒した神は人間を真っ二つに裂いてしまった。 その結果、 “男”と“女“とバラバラに分れてしまい、半分となった人間は失われたもう半分の自分を永遠に探し続ける宿命を負ってしまったという話。)

愛とは、一般的に言われることは“無償の奉仕”ですが、実はそれを通じて“自分を探している”というのです。

例えば、子供は親のしぐさを真似ます。それを親が見てどう思うか?
愛しい相手の中に“自分”を見出したとき、不思議な一体感があるはずです。
まったくタイプの違うカップルであっても、このような“シンクロ”というか、相手の中に“なりあまれる・なりたらぬ”自分が存在していることがわかるはずです。

だから、自分を労わるように相手を労わることができる。
ケンカする、仲直りする、叱責する、褒める、嫌いになる、好きになる…実は全て相手の中にある“自分”に対して行っているのです。
また、無関心になる相手とは、“自分をその中に見つけることができない”人なのです。
私達はほとんど確信がないまま盲目的に相手を選びます。しかし、自分を見出すことのできない相手と縁が繋がることはないのです。

愛の終わりは、両方か、片方かが自分を“見失ってしまった”時に起こります。
だから、あの人でもない、この人でもないと考えず、あの人、この人の中にも自分が存在すると考えれば、誰それと縁があって結びついたとき自分を引き出すことができるのではないでしょうか?
相手を高めることは自分を高めることでもある…それが愛だと思います。

参考: ヒントは外にあり、答えは内にある
子供は親の言うとおりにはしないが、親のする通りにはする



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この記事へのコメント
ayanpaさん こんばんはー^^

なるほど~。うんうん。って頷きながら読んでました。
最後の
>子供は親の言うとおりにはしないが、親のする通りにはする
にドキっズキッてしてます^^;
ほんとにその通りです。
子供に教えるよりまず自分が正さなくては・・・。汗;
Posted by emi at 2005年12月02日 22:12
こんばんはemiさん。
色々とご心配おかけしまして申し訳ありませんでした。
たくさんの応援本当に夫婦ともどもありがたく思っております。
私もいつも子供を見ると鏡を見ているようで下手な事が出来ないなあとドキドキしています。
子供が大人に成ったときに、どこに出しても恥ずかしくないようにするためには、私がどこに出ても恥ずかしくないようにしなくてはならないですね(汗)
Posted by ayanpa at 2005年12月03日 23:30
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